妄想的にいきなり最終目的を語っても何も始まらない

矢野 例えば、ジャズにもいろいろなタイプがありますよね。発展型で進化型のマイルス・デイヴィスもいれば、それとは逆のミュージシャンもいる。ボブ・ディランなんかすごいですよ。私は初来日したときの武道館公演から見ていますが、同じ『風に吹かれて』でも、毎年全然違うアレンジで歌っています。

前野 つまり、それぞれの人たちが自分の特徴に合わせて、活動すればいいということですか。

矢野 「この道ひと筋」で特定の領域を深める人たちも世の中には必要なので、要はそのバランスだと思います。

矢野 和男(やの・かずお)。日立製作所 理事 研究開発グループ技師長。1959年山形県出身。早稲田大学大学院理工学研究科修了後、1984年日立製作所入社。同社の中央研究所にて半導体研究に携わり、1993年に単一電子メモリの室温動作に世界で初めて成功する。同年、博士号(工学)を取得。2004年から着手した世界に先駆けたウエアラブル技術とビッグデータ収集・活用の研究で世界をけん引。論文被引用2500件に上り、特許出願350件を超える。AIからナノテクまで専門性の広さと深さで知られる。著書に『データの見えざる手』(草思社)など。IEEE フェロー。東京工業大学大学院連携教授。文部科学省情報科学技術委員。(写真:加藤康)

前野 「手段」と「目的」ですね。

矢野 日立で私が最初に手がけた研究テーマはコンピューターを冷やして速くする技術でした。でも、コンピューターを冷やすことは目的ではなく手段です。もっと言えば、コンピューターを使うということも手段で、さらにソフトウエアやシステム、サービスなど最終目的につながる上位の様々な研究領域があるわけです。

 ただ、妄想的にいきなり最終目的を語っても何も始まらない。だから、徐々に目的を広げていったんです。「サックスみたいな失敗はもう二度とやらない」と思っていましたから、手段にこだわって急にジャンプしないように「この研究の目的って何だろう」と考えながら。「目的からスタートして今やっていることを見直そう」ということを続けていたら、結局、私の目的は「幸せ」について研究することでした。

前野 なるほど。

矢野 千葉大学の小林正弥さん(法政経学部教授)とお会いした際に、アリストテレスの話を聞きました。そこで本を読んだのですが、そこに書いてあったのは「より上位にある目的を突き詰めていくと、結局は幸せに行き着く」ということでした。面白かったのはお金と幸せの話で、表現は少し違うかもしれませんが、「幸せのためにお金をもうけている」ということは言えるが、「お金のために幸せになりたいと思っている」ということではない。だから「幸せの方が上位の目的なんだ」というんです。

前野 そういうロジックですか。

矢野 15年前に始めたセンサーデータの解析も、目的がないと全く不毛な行為なんです。解析の作業自体は非常に労働集約型で時間も労力も必要ですから、それとは裏腹に目的がとても大事という示唆は、結構身に染みました。

前野 企業にとっての目的は、やはり業績になりますよね。

矢野 センサーで計測した結果を企業の業績や作業の効率性といった数値に結び付けることを、早くからやろうとしましたが、意外にプロフィットが明確に見えている仕事って少ないんですよね。どこかでつながってはいますが、過去を振り返ってみても、どの行為が企業業績のどの数字に結び付いているかなんて、実際のところ誰にも分かりません。

前野 そうですね。

矢野 何らかの理屈を付けることはできなくはないですが、かなり無理筋の後付け論理になってしまいます。だから、単に「お金」や「生産性」について議論してもだめだなと。「工場の生産性」のように範囲を限定すれば何か分かるかもしれないけれど、今求められているホワイトカラーを含めた知識労働の生産性について考えるには何かが足りないという結論になりました。

 そんなときに、たまたま海外出張先の空港の書店で、ソニア・リュボミアスキーさん(米カリフォルニア大学リバーサイド校教授)の『The How of Happiness』というポジティブサイコロジーの本が平積みして置いてあるのが目に入ったんです。読んでみたら面白い。そこですぐ彼女に「会いたい」とメールを打ったんです。

前野 さすが、行動が早いですね。

矢野 その少し前に土井利忠さん(元ソニー業務執行役員上席常務、現在は天外伺朗というペンネームで活躍中)の本を読んだら、ミハイ・チクセントミハイさん(米クレアモント大学院大学 特別教授)の話が出ていました。

前野 土井さんは、ミハイさんが提唱する「フロー」の心理状態について注目していますね。

矢野 そうそう。フローの話も面白いと思って、ミハイさんにもメールを送って会いに行ったんです。

前野 すごい、行動のスピードですね。