今回の「イノベーションの幸福学」のゲストは、日立製作所 理事で研究開発グループ技師長の矢野和男さん。日本を代表する研究者の1人で、半導体分野で多くの業績を上げた後、データ分析やAI(人工知能)を活用した「幸せの研究」に研究分野を転換した。実は、幸せの研究を手がけることは学生時代からの夢。「研究は矛盾だらけです」と語る矢野さんは、大企業の中で、どのように「幸せの研究」を立ち上げることができたのか。
矢野さん(左)と前野教授(写真:加藤康)

実は、「テクノロジー」よりも「幸せ」の方が先なんです

前野 半導体から、ビッグデータ、AI(人工知能)、そして幸せと、さまざまな研究テーマで活躍している矢野さんを見るたび、「何て、矢野さんはブレていないんだろう……」と思うんです。僕もセンサーやアクチュエータを扱う技術者でしたが、「幸せの研究をするためには、心理学や脳科学の研究に移らなければダメだ」と思って軸足を移しました。一方で、矢野さんは、センサーから離れないままで幸せの研究を手がけている。技術者に軸足を置いたまま幸せの研究に至った矢野さんは、一貫性があり、自分のように紆余曲折していた道と違っていて素晴らしいと思うのです。

矢野 実は、私は「テクノロジー」よりも「幸せ」の方が先なんです。大学時代から「幸せの研究をやりたい」と周囲にも随分話していて、今でも「昔からそんなこと言っていたよね」と言われます。もともと「幸福論」に関する本を読むのはとても好きでした。

前野 え。そうだったんですか。

矢野 1980年頃からですから年季が入っているんですよ。「幸せ」に関することで何か仕事ができないかとずっと妄想していました。

前野 1980年は僕が大学に入った年です。僕も幸せになりたいとは思っていたはずですが、そこには思いが至っていませんでした。でも、矢野さんは日立製作所に就職して、半導体の研究を手がけたのですよね。「幸せの研究」はいつ頃からですか。

矢野 15年ほど前ですね。日立が半導体事業をやめることになり、優秀な人材が大量に余ってしまうので、彼らの価値をつくる環境が必要でした。私もその1人でしたし、リーダーだったので、「ならば幸せ研究をやろうか」と。ただ、私は元来「極めるタイプ」で、しかも極端。要するにバランス感覚が全くなく、周りが見えず、空気が読めないというか。

前野 研究者には、よくあるタイプですね。

矢野 はい。それで実は失敗したことがあるんです。大学時代にジャズをやっていて、サックスを担当していました。

前野 僕も学生時代にサックスをやっていたんですよ。

矢野 そうですか! 学生時代は「プロになりたい」と授業も出ずにサックスをひたすら練習していました。3年ほどサックス一筋でやった後に、ようやく周りの人たちが見えるようになって気が付いたことがあります。それは、広い視野で音楽に携わったり、ほかの楽器や作曲ができたりする人たちには勝てないということ。「このやり方はだめなんだ」と挫折しました。つまり「一本やり」というのは、深めればいいというものじゃないと。

前野 なるほど。

矢野 サックスは手段なので、音楽をやらなければなりません。音楽をやるということは、聴いている人のことも考える必要がある。でも、当時はそんなことは全く考えもしませんでした。そんなトラウマというか、挫折の経験があったので、半導体の研究を手がけながら他にもいろいろなことをやっていました。

前野 技術者や研究者は、特定の部分だけを見て熱中する人が多いように思います。そこで「全体を見なければ」と思っても向かない人もいますね。矢野さんは、徐々に全体を見る方向に変わったのですか、それとも一気に変わったのですか。

矢野 徐々に変わったと思います。そもそも学校を卒業したばかりの社会人の視野は狭い。経験もなく、知識もネットワークもないですからね。ただ、「この人には、もう少しストレッチさせたことをやらせた方がいい」と、周りにいた人たちが私にチャンスを与えてくれたような気がしています。

前野 なるほど。僕は卒論発表で審査員に「その研究は何のためにやるんだ」と言われ、「何て難しい質問をするんだ」とショックを受けました。当時はやはり視野が狭く、「何のためか」なんて全然考えていなかったんですね。それから僕は何かをやるたびに、「何のため」ということを他の人よりも少しずつ多く考えたと思います。そうして私も15年前に「幸せの研究」にたどり着きました。矢野さんから「視野を広げるためのアドバイス」はありますか。