アイデアを潰さないイノベーション

米倉 「ああ、失敗? もう3回したから全く問題ない」というわけ。

前野 なるほど(笑)。

米倉 ちょうどインターネットの商用化が本格化した時代で、全く新しいゲームが始まっていたわけです。それは「やってみなければ分からないことはやってみよう」というゲームです。しかも、失敗大歓迎というゲームです。

前野 僕も1980年代後半はキヤノンのサラリーマンでしたが、当時の枠組みが壊れるなんて夢にも思っていませんでした。

前野 隆司(まえの・たかし)。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント(SDM)研究科教授。1962年山口生まれ。広島育ち。1984年東京工業大学工学部卒業、1986年東京工業大学理工学研究科修士課程修了、同年キヤノン入社、1993年博士(工学)学位取得(東京工業大学)、1995年慶應義塾大学理工学部専任講師、同助教授、同教授を経て、2008年よりSDM研究科教授。2011年4月よりSDM研究科委員長。この間、1990〜1992年カリフォルニア大学バークレー校Visiting Industrial Fellow、2001年ハーバード大学Visiting Professor。著書に『脳はなぜ「心」を作ったのか』(筑摩書房)、 『無意識の整え方』(ワニブックス)、『「死ぬのが怖い」とはどういうことか』(講談社)、『幸せのメカニズム 実践・幸福学入門 (講談社現代新書)』(講談社現代新書)、『システム×デザイン思考で世界を変える 慶應SDM「イノベーションのつくり方」』(日経BP社)など多数。(写真:加藤 康)

米倉 そうですよね。例えば、テレビとインターネットを組み合わせて家庭内の情報ハブにする。そんな野望を、ソニーやパナソニックをはじめとする日本の家電メーカーはみんな考えていた。前野さんがいたキヤノンもテレビを開発していましたから、同じように考えていたと思います。携帯電話も同様に有望視されていましたよね。

 2003年から1年間、僕はソニーで経営戦略に関わる仕事をしました。当時のソニーには、家庭用ゲーム機とHDDレコーダーを組み合わせた「PSX」や、遠隔地でテレビ番組が見られる「ロケーションフリー」、PDA(携帯型情報端末)の「CLIE」など面白い技術のタネが本当に何でもあった。

 米アップル社が「iPnone」を出したのが2007年でしょう? それを考えると、相当に先進的だったと思います。でも、社内やグループ内のしがらみで混迷して、同じような機能の商品を、複数の事業部が別々に出したりするようなこともあって、結局は実らなかった。

 「スティーブ・ジョブズが携帯電話をやるんだってさ」と聞いたとき、日本メーカーのかわいい携帯電話に慣れていた我々は、これほどの破壊力をiPhoneが持っていたとは想像しませんでした。それを考えると、例えば米テスラの自動車を電気自動車と捉えるのは間違いなのでしょうね。あれは「車輪がついたiPhone」だと見るべきでしょう。

前野 ソニーに限らず、それまでイノベーティブだと思われていた多くの日本メーカーは同じように選択を誤ったように感じます。

米倉 そうですね。日本企業にもアイデアはたくさんあった。それを潰さない新しい仕組みによるイノベーションが必要だったということでしょう。

前野 やはり「イノベーションのジレンマ」というか、歴史の必然で、覆すことは難しかったのでしょうか。

米倉 『イノベーションのジレンマ』(翔泳社)を書いたクレイトン・クリステンセン氏(米ハーバード・ビジネススクール教授)は、「新しい波に乗り遅れていく大企業の経営者を多くの人はバカだ、先見の明がないと思っているけれど、それは違う。優秀であればあるほど見逃すんだ」という趣旨のことを言っています。

 多くの場合、大きなヒット商品で成功すると、その分野で新しい商品が出てきたときに移行期だと気づけない。テレビは好例です。液晶テレビへの移行が始まったときに、CRTテレビはもうけ頭の「キャッシュカウ」だった。その状況では、優秀な営業担当者であるほど、CRTテレビを大量に売ろうとするわけです。様々な分野で成功体験を積み重ねていた日本メーカーで、同じようなことが起きていたのではないでしょうか。

前野 優秀であればあるほど見逃してしまう。

米倉 ソニーで仕事をしていた当時の忘れられない出来事があります。ある技術者に「何を開発しているの」と聞いたら、「自動車を造っています」という答えが返ってきました。

 当時は様々な技術を見せてもらって「面白いね。やろうよ」と話すことが多かったのですが、その時はさすがに僕も「それはちょっと無理じゃないの」と言ったんです。でも、彼は「ソニーと書いてある自動車を造りたいんです」と真剣に話していました。

 十数年前のことで、その後、自動車開発がどうなったかは分かりません。でも、そういう新しい発想が社内にあった。若い人たちが考える荒唐無稽なものを「やってみよう」「やらせてみよう」という仕組みが全然なかった。それが日本メーカーが新しいゲームに乗り遅れた大きな理由のように感じます。

(次回に続く)