浅田邦博氏
東京大学大規模集積システム設計教育研究センター センター長・教授。1980年3月東京大学工学系研究科電子工学博士課程修了(工博)。1980年4月より東京大学工学部に任官。1995年東京大学工学系研究科教授。1996年東京大学大規模集積システム設計教育研究センター(VDEC)の設立に伴い異動、2000年より同センター長、現在に至る。

 日本の半導体産業はCMOSセンサーやパワーデバイス、NANDフラッシュなどの特定分野では今でも、国際的な競争力を持つ半導体メーカーが存在するが、「世界の中心であるか」という問いに関しては、首を縦に振ることは決してできない状況だ。現在、米Intel社と台湾TSMC(Taiwan Semiconductor Manufacturing Co., Ltd.)、韓国Samsung Electronics社の「ビッグ3」が半導体産業を牛耳っている。日本はなぜ、こうした事態を招いてしまったのか。

 こうした背景を踏まえ今回、東京大学 教授でVDEC(大規模集積システム設計教育研究センター)のセンター長を務める浅田邦博氏に、長年、半導体産業を見つめてきた研究者という立場から半導体産業の過去・現在・未来、そして人材育成からみた半導体産業、半導体テスト技術者検定の意義を聞いた。今回から前編、後編の2回にわたって紹介する。前編の今回は、半導体産業の歴史を振り返り、業界のターニングポイントを探った。なお、浅田氏にはパワーデバイス・イネーブリング協会(PDEA)が主催する「半導体テスト技術者検定」の教科書、問題集を監修いただいている(本コラムの詳細はこちら、PDEAについてはこちら、半導体テスト技術者検定の教科書についてはこちら、検定の問題集についてはこちら)。

――まず、半導体産業のこれまでを振り返ってほしい。

浅田氏 集積回路という観点で見れば、半導体産業は1970年前後からスタートしており、すでに50年近くが経過している産業だ。当時は設計も製造も1社ですべて行うIDM(integrated device manufacturer、垂直統合型の半導体メーカー)が主流で、米国のIntel社がメモリーを手がけ、その後マイクロプロセッサーを立ち上げたように、半導体産業は急速に大きくなっていた。

 その後、1980年代に入り、ファウンドリーという業態が新たに誕生した。今でいうところの水平分業化の第1弾だと考えている。設計と製造を分離することで、複雑化する集積回路に対応しようとするもので、また人材的にも設計に必要な人材と製造に必要な人材は異なるものだというところがこの時期から明確になってきたと思う。その後、日本も水平分業化を後追いでやろうとしたが、なかなかうまくいかなかった。

――日本ではなぜ、水平分業スタイルがうまくいかなかったのか。

浅田氏 ユーザーが「社内ユーザー」であったことだ。Intel社などの米国の半導体メーカーは社内ユーザーがいなかったが、日本の場合は電機メーカーを母体としており、最終製品を抱えていた。そのニーズに応じるかたちで、半導体を開発してきた。要求そのものがワイドでないため、世界で戦える競争力を身につけることができず、この社内ユーザー中心の製品づくりが今日まで日本の半導体産業を苦しめたと思っている。

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