梶田 私はあまりそういうことを考えない(笑)。

山口 つまり何とかなるだろう、と。あのころ理学研究科の人たちはみんな楽観的でした。

梶田 でも本当はそれではいけません。当時は博士課程の学生数が少なかったので、そういう論理が成り立っていたんだと思います。でも1990年代に国の政策として博士の学生を増やし、さまざまな場で活躍できるようにするはずでした。けれど出口の政策が何もありません。

山口 仰る通りで、今やポスドクを終えた人たちがワーキングプアになっていく時代になりました。素粒子物理は特にそういう傾向にあると思います。

梶田 いや、博士課程に行く学生の数は分野によらず、どんどん減少しています。

山口 もちろん研究者になりたい若者はいる。だけど研究者ではなく、国際機関や科学行政官、さらには科学ジャーナリストなど、違う分野で働いてみたい人もいるでしょう。だからアメリカのように、大学では学びたいことを学び、社会人としてはサイエンス・コミュニケーターとかイノベーターとか、別な仕事をするという選択があっていい。でも日本にはあまりにもそうした社会システムがないですよね。

梶田 そこが問題です。博士号を取った人は全員が大学教員になるわけではなくて、欧米のように、いろいろな場で活躍できるような社会にしていかなければいけません。欧米では高等教育の価値がきちんと認識されていると思うんですね。日本はその辺りがあまりにも寂しい。

削られる研究予算

梶田 特にショックを受けるのは、いまだに博士よりも学部卒のほうがいいなどと言う企業人がいることです。

山口 確かに経営者の中に「学部卒の人を採用して企業で育てていったほうが役に立つ人材に育つ」と言う人がいますね。しかし残念ながら、学部卒では「誰も知らないことを自ら発見した」、あるいは「この世にないものをあらしめた」という「創発」を体感しないまま社会に入ってしまうので、社会を進化させていくのが実は「創発」なのだということを知らないまま、どうすればイノベーションできるのかと右往左往している。結局、「創発」を成し遂げた博士の本当の価値がなかなか認められません。

(写真:栗原克己)
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梶田 誰も知らないことを知った、そういう知的プロセスの価値をもっと世の中に知ってもらわないといけないと私も心から思います。

山口 日本は先進国にはなったけれど、まだまだ精神の根底のところでは、キャッチアップ型を引きずっているということでしょう。ということは、博士号を取った人を社会の中で活用する社会システムができていないということです。博士号取得者が行政機関や国際機関に入るなどして社会に貢献する具体的な仕組みができていません。