フェンシング銀メダリストの妙技、試合解析で見えた

直感的な気づきと判断がレジェンドを形づくる

2017/04/07 05:00

國井 佳奈子=LIGHTz Weaver(ウィーバー)

 前回は、LIGHTzが開発するAI(人工知能)技術「ORINAS(オリナス)」をスポーツ分野にどのように展開できるかについてご紹介しました。今回は、フェンシング界の世界的なレジェンドである太田雄貴選手の試合解析の事例から、「熟練者の思考やまなざしを丁寧に紡ぎ上げる」というORINASのコンセプト実現の核となる“感性”に焦点を当てます。

 LIGHTzでは、AIを活用して製造業やスポーツなど様々な分野のスペシャリストの知見を次世代に伝えていく事業に取り組んでいます。例えば、スポーツ選手のスキルを説明しようとすると、「ビュッ」「バーン」のような擬音語や、「目が覚めるようなスイング」など、曖昧な表現が多くなりがちです。そのため、スキルを継承しようにも選手の優れた技能は属人的になりやすく、選手個人の中に眠ってしまうことがほとんどでした。

 では、この状況を打破し、いわゆるレジェンドと呼ばれる選手のプレーを若手選手が参考にできる形で残すためにはどうすればいいでしょうか。

 最近は、センシングや画像解析などの技術進歩によって、選手の動きや試合経過のデータを取得し、プレーのすごさを客観的な数字で観られるテレビ中継も増えてきました。例えばバレーボールの中継では、その日のアタックの成功率や、スパイクの最高到達点などの情報を、ほぼリアルタイムに知ることができます。

 こうした客観的事実の積み重ねと分析が、プレーを向上するために重要な役割を果たすことは間違いありません。ただ、客観的事実だけでは誰もがそれをまねできるようにならないことも確かです。プレーを支える技を後進に伝えるために大切なことはもう1つあります。それが、“感性”です。「人の主観的な感性を起点にすること」が、ORINASの最大の特徴になっています。

客観的なデータ分析では分からないレジェンド選手の”感性”に基づくAIが、次世代の選手に新たな気づきを与える。(図:LIGHTz)
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 主観的な感性を取り入れることは、決して客観的なデータ分析に逆行するわけではありません。センサーなどで取得した多くのデータを統計的に分析し、客観的な特徴や事実を導き出す方法ではデータによる裏付けが得られる一方で、独自のノウハウをもつ選手や監督のような専門家の解釈とは異なる結論を導き出す場合もあります。客観的事実と感性の両輪を用意することで、より深くプレーを分析することが可能になるはずです。

 そこでORINASでは、選手自身が感じている試合の流れや、試合中の特徴的なパターンに着目し、それをAIとして学習させることで選手の主観を可視化することに挑戦しています。例えばバレーボールの場合、相手チームのポジショニングをこのAIに入力すると、レジェンド選手ならどんなアタックを想定し、どこで守るべきと考えるかを出力します。つまり、誰でも専門家の知見を合わせもった解釈ができ、学びを得られるようになるのです。そうすることによって、熟練者の思考を次世代に伝えることに大きく貢献できると考えています。

レジェンドの直感的思考と判断

 では、ORINASに学習させる“感性”とは具体的に何を示すのでしょうか。感性という言葉のイメージは、人によって異なると思います。LIGHTzでは専門家の知見を体系化する上で重要な感性を、「彼らが絶対に外せない大一番で技を決めてくる、直感的な気づきと判断」と定義しています。これはスポーツに限らず、どんな分野でも共通で、要所で的確な判断を下し、成果を積み上げてきた人がその道のレジェンドと呼ばれる存在ということでしょう。重要な場面で、何が解決のポイントだと気づき、判断し動いたのか。この個人によって異なる直感的な思考や判断を感性と表現しています。

 選手の感性がスポーツにおいて重要な役割を果たす。このことに私たちが気づき、スポーツビジネスにAIで参入するきっかけとなったのが、フェンシングの太田雄貴選手との出会いです。私たちは2015年12月から、日本スポーツアナリスト協会の要請の下、リオデジャネイロ五輪を前にした太田選手の試合を分析しました。目的は、太田選手の得意なプレー、不得意なプレーのパターンをそれぞれ明らかにすることです。太田選手といえば、世界選手権での優勝経験もあり、北京五輪では個人で、ロンドン五輪では団体で銀メダルを獲得した世界トップレベルのアスリートです。

 太田選手が試合中に感じていることと、実際のプレーの間にはどのような関係があるか。これを明らかにするため、まずはAIを使わずに、客観的に得られるデータに基づいた分析を進めました。ただ、フェンシングの公式戦では体にセンサーをつけることは禁止されています。従来は試合動画を用いて、打突(剣を交し合い、得点が決する場面)などの特徴的なプレーを対象に、攻撃した相手の体の部位や成功率などを分析していたそうです。そこで、これまで分析の及ばなかった交戦開始の合図から得点が決するまでの試合全体の流れを可視化することに挑戦しました。

太田選手のプレーパターン分析

 分析は当初、かなりの難問が山積していました。データ解析を担当した筆者は、フェンシングの経験はおろか、俗にいう“運動神経が切れている”タイプ。試合の勘所など予想もつきませんでした。試合を見ると、間合いを取りあう静かな時間が数十秒続いたと思ったら、次の瞬間には攻撃を仕掛けて突き合います。得点が入るまではほんの一瞬なのです。駆け引きの重要性、1歩の重みが感じられました。剣の軌跡は大変複雑で、これを形にするために「右手を軽く振って、1歩前に出る。相手が下がったので突いてみる。交わされたところを突き直して得点」と言葉で並べてみました。もちろんこの流れは得点シーンごとに異なるため、パターン化は複雑すぎると途方に暮れました。

 そんなとき、フェンシング日本代表アナリストの千葉洋平さんから、「選手は剣を振ろう、足を出そうという意識よりも攻撃動作の流れの中で動いている」ということを教えてもらい、視界が開けました。1つひとつの動作に固執するよりも、選手同士が牽制しあう静かな“凪”の状態から、攻撃を畳み掛ける“荒波”への変化を読み解く方が選手の試合感に近く、全体的なパターンを見いだせると仮説を立てました。

十二支のキャラクターで選手を分類

 プレーのパターンの波を読み解く前提として、各選手のキャラクター分けとそれに基づく相性の分析に取り組みました。太田選手の試合映像を観察するうちに、格下であるはずの選手に苦戦を強いられている状況が目に付きました。確かにスポーツの試合を観ていると、「このタイプには弱い」といった解説を聞くことも多い。太田選手のプレーパターンも相手のタイプによって変わってくると考え、その苦手意識を具体化するべく、相手の選手を12のタイプに分類しました。例えば、「剣の構えは攻撃的か防御的か」「距離を詰める時はスピードで攻めるのか、リーチを生かすのか」などです。

選手のキャラクターを表す十二支タイプの概要。縦軸は剣を突くスピード、横軸は試合中の構え方を基に試合運びの傾向を示した。相手までのリーチの長さが身長に比例すると仮定し、身長の情報も合わせて選手を12タイプに分類した。(図:LIGHTz)
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 12タイプということで、十二支の動物にたとえることにしました。太田選手のプレーには軽快なリズムがあり、小柄だけれど攻めるスピードに長けた「うりぼー(イノシシ)」タイプ。例えば、相手を誘い込むことに長けたアレクサンダー・マシアラス選手(米国)のような「ヘビ」タイプと対戦する際には、太田選手は果敢に飛び込んで攻めていきます。動きが少なく、攻めると細かく噛み返してくる「ネズミ」タイプのピーター・ヨピッヒ選手(ドイツ)に対しては、攻めにくく苦手とする傾向が見られました。これらの組み合せをベースに、太田選手のプレーパターンの分析に取り組みました。

太田選手(「うりぼー」タイプ)と他のタイプとの相性。うりぼータイプは相手の攻撃を待ち、自分の間合いに誘い込む小柄なタイプにカウンターを受けやすい。一方、スピードで押し切れる相手、挑発し合う相手は得意な傾向を持つ。(図:LIGHTz)
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試合の流れを「波」で捉える

 プレーパターンは、攻撃と防御の特徴的な動きを8つ抽出して分類しました。例えば、「前進してくる相手と距離を保つために後退する」防御寄りのプレーを「ロンぺ・ブロック」と名付けました。このプレーパターンの並びを、同じ構えでの牽制状態が続く”小波(さざなみ)”、急激に攻めに転じる”大波”のように捉えることで、試合の経過時間に沿った太田選手と相手の動きの流れを可視化しました。終始変化する相手との距離感は、「接近ゲージ」として合わせて記録しました。接近ゲージの数値が高いほど相手との距離が近く、一手で得点が決まりうる緊迫した状況を表します。攻守のバランスを取りながら、相手の懐に飛び込んで突く。太田選手の突きの軌跡は大胆かつ、華麗でした。その飛び込みの感覚に、少しでも近づければとの想いで分析を続けました。

プレーパターンをディフェンスとオフェンスから4種類ずつ、特徴的な動きを抽出して8種類に分類した。(図:LIGHTz)
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 過去1年間の全公式戦について時間を掛けて眺めていくと、太田選手のプレーパターンがだいぶ見えてきました。最大の得点パターンは、攻撃から防御へとトリッキーに振って相手を翻弄し、交戦開始から5秒とたたずに打突する流れです。これが、ネズミタイプの対戦相手を苦手とする大きな理由の1つでした。なぜなら、太田選手のトリッキーな動きに乗らず、じっと身を固めるネズミタイプと対戦すると、基本の構えで“小波(さざなみ)”の状態が続いてしまうからです。太田選手がしびれを切らして攻め始めると、攻撃開始が相手から読まれやすく、飛び出したところをツンと突き返されてしまうケースが多く見られました。そんなネズミタイプの対戦相手に対しても、しっかり距離を開けてフェイントすれば突き返されず、波に乗って一気に得点できている場面もありました。

試合中の太田選手の動きを波で表すシステム。得意な「ヘビ」タイプ(左図)、攻めきれない「ネズミ」タイプ(右図)との1プレーをイラストで再現した。上部の接近ゲージは、赤色が濃いほど相手との距離が近く、緊迫した状況を示す。(図:LIGHTz)
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 太田選手のプレーパターン分析を通じて、巧みに小波を立て、一気に“大波”にして得点する見極めのうまさが強さの秘訣であると実感しました。終始、試合の波の満ち引きを読みながら、何らかの条件が満ちたとき攻撃に移すのです。その分かれ目での判断は、選手によって異なるでしょう。タイミングを逃さないレジェンドの強さ、それを支えるのが直感的な気づきと判断力、すなわち”感性”です。

レジェンドの感性を受け継いでいく

 電通の取り組みで、「Fencing Visualized(フェンシング・ビジュアライズド)」というプロジェクトがあります。

「Fencing Visualized(フェンシング・ビジュアライズド)」プロジェクトの動画「Yuki Ota Fencing Visualized Project - fencing × technology」(出典:fencing visualized projectのYouTubeページから)

 このプロジェクトでは、太田選手の動きをカメラでモーションキャプチャーし、剣先の軌跡や選手の目線の動きを可視化することで、複雑で美しい競技を分かりやすく表現しています。これは、選手の動きに基づく客観的なデータが起点になっています。これに私たちが解析する感性を起点とした情報を組み合わせられれば、その動きに至るまでの選手の主観的な思考が加わり、太田選手の感じる波を見る側にも伝えられるのではないでしょうか。レジェンドの感性を、誰もが体感できる。そんなビジュアライゼーションもこれからの技術なら可能になると思います。

 太田選手の知見の継承も、直感的なポイントを体系化すると確かなものになると思います。選手が攻めへ転じる判断は、その日の試合展開や瞬間的な相手の姿勢など、各要素が複雑に絡みあって生まれると推測できます。ORINASではその要素の絡み合いをブレインモデルというネットワーク構造にまとめ、学習させてAIを構築することで、誰でもその知見を活用できる仕組みを作っています。その詳細については、次回ご紹介しましょう。

(次回に続く)