応用で先行した日本,事業化しなかったRCA (NIKKEI MICRODEVICES 2007年6月号より)

世界初の液晶応用は日本から

 日本でRCAの液晶の発表に飛びついた一人が,早川電機工業(現シャープ)の和田富夫氏である(図4)。和田氏は早速,当時専務だった佐々木正氏に,RCAへ視察に行ってもらった。佐々木氏は,この液晶材料こそが,待ち望んでいた電卓用ディスプレイとして最適な材料であると判断した。そこでRCAに対し,「ディスプレイを供給してほしい。開発費はいくらでも出す」と交渉した。しかしRCAは,「電卓用としては応答が遅すぎる」という理由から,佐々木氏の頼みを断る。その裏には,時計メーカーの米Timex社との約束があった。


図4●液晶電卓を製品化
液晶を世界で最初に実用化した和田富夫氏(a)と,シャープの液晶電卓(b)。(a)は和田氏が提供,(b)はシャープのデータ(シャープ・フラッシュ・ニュース,1973年5月15日)。

 仕方なく,早川電機は独自で液晶の開発を始める。当時は,「液晶ディスプレイを発明したRCAができないと言っているのに,どうして自社でできるのか」という議論もあった。しかし,プロジェクトは1970年に始まる。佐々木氏の擁護の下,秘密裏に,大急ぎで開発が進められた。

 RCAは常温で動作する液晶材料シッフ・ベイセスを極秘にしていたため,和田グループはその発見と合成・最適化に研究開発の全エネルギーを費やした。開発メンバーの執念が実り,1973年5月には世界で最初の液晶応用製品である液晶電卓の発売にこぎ着けた(図4)。この電卓は,外形寸法がそれまでの製品の1/10以下と小さく,初めて胸のポケットに入るサイズを実現した。さらに,単3乾電池1本で100時間使えたため,商品として大成功を収めた。

 実は,1968年末にNHKがDavid Sarnoff研究所のHeilmeier氏を取材したときに,黒板に書かれた液晶成分を撮影していた9)。当時“技術後進国”と思われていた日本に見せても「追い付かれることはないだろう」という判断だったのかもしれない。液晶腕時計の開発に携わった諏訪精工舎(現セイコーエプソン)の山崎淑夫氏も後に,「もしこのビデオを見ていれば,シッフ・ベイセスの探索で苦労する必要はなかった」と語っている。

9)「世界の企業『現代錬金術』」,NHK,1969年1月放送.

RCAの事業化断念と開発者の転出

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