東大在籍中の「研究者の卵」が遺伝子解析ベンチャー立ち上げに託す思い

「遺伝情報を知る権利を守りたい」、ジーンクエスト 高橋祥子氏に聞く

2014/05/20 00:00
大下 淳一=日経デジタルヘルス

 東京大学本郷キャンパスの正門近くにあるマンションの一室にその会社はある。2013年6月創業のジーンクエスト。国内初となる、日本人向け遺伝子解析サービスを2014年1月に始めた気鋭のバイオベンチャーである。同社は、近くヤフーが始動する遺伝子解析に基づく生活改善助言サービス「HelathData Lab」に参画する(関連記事1同2)。

 ジーンクエストを率いるのは、東京大学大学院 農学系研究科 博士課程に在籍する高橋祥子氏。研究者の卵である同氏が、個人向け遺伝子解析サービスの立ち上げという未開拓の領域に挑む理由とは──。

(聞き手は大下 淳一=日経デジタルヘルス、小谷 卓也=同 編集長)

――起業のキッカケを教えてください。

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ジーンクエストの高橋祥子氏(写真:加藤康、以下同)

 大学院では、生活習慣病の予防メカニズムを遺伝情報から解き明かす研究を行っています。当初は研究を続けて大学教員になろうと思っていました。でも、私の研究はノーベル賞の対象となるような基礎科学に関わるものではありません。ですから、人の役に立つものにしなければ研究する意味はないと考えました。

 研究の応用を担うのは、企業の役割です。ただ、大学の研究と企業の事業の間にはしばしば隔たりが生じます。例えば、サプリメント(栄養補助剤)の研究を実製品に応用する際、科学的事実をねじ曲げて効用をうたうようなことがしばしば起こってしまう。遺伝子解析について言えば、「個人の才能まで評価できる」とうたうような海外企業も存在するわけです。


 日本においても遺伝子解析への注目度が高まりつつある今、きちんとした科学的根拠に基づくサービスが生まれなくてはならない。これが起業にあたっての問題意識でした。いい加減なサービスが乱立してしまえば、遺伝子解析に関する規制が厳しくなり、一般人が自分の遺伝情報を知る権利を奪われてしまいかねません。今ならばそれを避ける方向に持っていくことが可能だと思ったのです。

 これまで、個人の身体に関わる情報はもっぱら医療機関が占有していました。これに対し、遺伝情報はこの先、個人が保有するものになっていく。これによって、これまで存在した情報の非対称性が解消されていく可能性があります。このことは、情報を保有するようになる一般人にも遺伝情報に関するリテラシーが求められることを意味しています。教育の重要性が増すでしょう。

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 起業のもう一つの理由には、研究者としての視点がありました。遺伝子解析サービスで多くの人の遺伝情報を集めることができれば、それは研究に資するデータになる。我々は1万人のサービス利用者を獲得することを当面の目標としています。1万人分のデータが集まれば、日本人の遺伝情報に関してかなりのことが分かる可能性があるからです。

 (米国でいち早く個人向け遺伝子解析サービスを始めたことで知られる)「23andMe」は10万人を超える米国人の遺伝情報を集めることができた。これによって新たな知見がいくつも得られているようです。実は、日本は米国に比べて人種が均質なため、遺伝子解析により向いています。解析データから特定の傾向を抽出しやすいからです。ヒトゲノムは既に解読されたわけですが、疾病や体質との関わりが分かっているものはそのうち1%ほどだと言われます。まだまだ未知なことが多いのです。

――手掛ける遺伝子解析サービスは、具体的にはどのようなものですか。

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唾液採取用キットと解析に使うIllumina社のDNAチップ

 サービス利用者の唾液をサンプルとして、米Illumina社のDNAチップを用いて約30万カ所の遺伝子型を調べます。このうち特定の疾患や体質と相関があることが分かっている約5000種類を解析し、疾患のリスクや体質に関して約150項目の情報を明らかにします。解析に必要な期間は4~6週間。このような解析を数万円台のコストで提供できる環境が整ってきたことで、事業化に踏み切れました。

 遺伝子の解析そのものには一般的な手法を用いますが、我々がユニークなのは、日本人の疾患や体質との相関について科学的根拠のある遺伝子を解析対象とすることです。日本人や、日本人を含むアジア人を対象とする科学論文を、情報提供の根拠として用いるのです。

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DNAチップによるデータの読み出しは外部企業に委託し、我々は読み出された塩基配列の「解釈」を担います。「将来、Aという疾患にかかるリスクが日本人の平均値よりも●倍高い」。こうした形で、各項目に関する解釈をサービス利用者に提供します。

 データの読み出しはどの企業が手掛けても同じですが、解釈は企業ごとに異なります。ですから我々の差異化要素は、データの解釈にこそある。私を含む当社のメンバーは研究者ですから、ここには強みがあります。

――遺伝子解析の結果に基づく「解釈」は、「診断」とは異なるのでしょうか。

 診断とは別物です。我々は「あなたは将来こういう病気になる」という診断を下すわけではありません。あくまでも科学的根拠に基づく情報を提供し、それを生活習慣の改善につなげてもらおうというスタンスです。

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 23andMeがFDAの審査基準にひっかかってサービス停止を求められるという一件がありました。これは、同社が単一遺伝性疾患の判定に踏み込んだためとみています。単一遺伝性疾患とは、ある特定の遺伝子を調べることで疾患の発症を100%判定できるもの。一部の乳がんについても、遺伝的要素が非常に強いことが分かっています。当社ではこうした領域には手を出しません。環境的要素が強く、生活習慣の改善によって予防ができるような疾患を解析対象とします。

――遺伝情報は基本的に一生を通じて変わりません。リピーターが得られない点が、遺伝子解析サービスの難しさではないでしょうか。

 確かに、読み出した遺伝情報そのものは変わりませんが「解釈」は更新できます。我々は遺伝子解析に関する新しい学術論文が発表されるたびに、それを解釈のためのデータベースに含めるかどうか議論します。先ほど30万カ所を調べると言いましたが、この中には現時点では十分に解釈できないものが多く含まれている。今後、遺伝情報に関する研究が進むことで、より多くの情報をサービス利用者に提供できるようになるわけです。

 加えて、他社との協業を通じてサービスの幅を広げていこうと考えています。遺伝情報は、ヘルスケア分野のさまざまなサービスにつなげられる可能性がある。化粧品やフィットネスはその一例でしょう。遺伝情報を基に、さまざまなサービスのソリューションを作れるとみています。

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解析結果の一例。将来、ある疾患にかかるリスクが平均よりもどの程度高いか、その解析結果の相対的な信頼度、アジア人を対象とする大規模解析研究の有無などを提示する。

――他社との協業という点では、ヤフーとの提携がサービス立ち上げの駆動力となりそうですね。

 ヤフーはもともと、当社以外の遺伝子解析キットの販売を手掛けていました。それを知って「うちのキットも扱ってください」と売り込んだところ、「ではもっと本格的に協業しましょう」という話に発展したのです。

 ヤフーは課題解決型ソリューション事業の展開を望んでおり、そこに我々が協力できると考えました。ヤフーは遺伝子解析そのものに強みを持っているわけではありませんから、そこに当社の知見を提供できます。我々としては、ヤフーと組むことで知名度の向上につながるメリットは非常に大きいです。

――今後の目標を教えてください。

 私自身は、実業に足を踏み入れながらも「研究を続けたい」という思いがあります。遺伝情報がもっと身近なものになることで、この先どのような世界が広がるのか。それを知りたくて仕方ありません。

 米Google社のように潤沢な資金があれば自らやれることも多いですが、残念ながら日本にはそうした企業が少ない。それでも、我々のようなスタートアップ企業が多く集まれば、可能性はさまざまに広がっていくでしょう。

 この先は、あらゆるサービスやビジネスが「テーラーメード化」する時代だと思います。そしてそれを根幹から支えるものとして、遺伝情報の解析がある。そこで先頭を走りたいと思います。

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