医工連携「製販ドリブンモデル」開発物語

医療機器産業への参入を成功させる

2015/08/21 00:00
福山 健=日医文化総研
出典: 「知遊」第24号,2015年7月発行 ,pp.48-59 (記事は執筆時の情報に基づいており,現在では異なる場合があります)
医療機器産業への参入を成功させる新しい医工連携モデルを考案した柏野聡彦さん。(写真撮影:根岸聰一郎)

「医工連携 出会いの広場──ものづくり・日本の技術・医療機器 世界の外科医へ届けよう!」

こんなメッセージが、2012年12月開催の日本内視鏡外科学会総会で掲げられた。

それから2年余を経た今日、このメッセージに応えるように、「医」の臨床現場と「工」のものづくり企業、そこに医療機器産業を盛り上げて経済の活性化をはかる国や自治体の動きが加わり、医工連携はかつてない活況を呈している。

「日本全国、花満開」と、柏野聡彦(かしのとしひこ)・日本医工ものづくりコモンズ理事は評する。

医工連携による事業化の推進には、柏野さんが考案した「製販ドリブンモデル」という開発支援ネットワークが大きく貢献している。

もしも柏野さんがいなかったら……

「もしも柏野さんがいなかったらどうなっていただろう、と考えることがあります。おそらく同世代の人たちと一緒になって、それなりにいろいろなことを試していただろうと思うのですが、いまのような動きにもっていくのは間違いなく無理だったでしょう」

 こう語るのは、第一医科(株)の林正晃(まさあき)社長。

 同社は、耳、鼻、喉にかかわる製品開発、つまり、耳鼻咽喉科領域に特化した医療機器メーカーとして知られる。東京都文京区本郷に立地し、今年、創立60周年を迎えた。

 林社長は、現在44歳。慶應大学理工学部を卒業し同大学院でMBA(経営学修士)取得後、大手製薬会社に勤めていたが、創業者の父親が病に倒れたために後を継ぐべく入社して16年になる。

 近年、同社の製品開発には著しい特徴が見られる。

 それは、医療現場のニーズに応える機器を、全国各地のものづくり企業とマッチングして世に送り出す──いわゆる「医工連携」による製品開発において高い実績を上げていることだ。その契機となったのが、柏野聡彦・日本医工ものづくりコモンズ理事との出会いだ。

 日本医工ものづくりコモンズは、「ベッドサイドから医療ニーズを掘り起こす」を趣旨に設立された一般社団法人。理事長を務める北島政樹・国際医療福祉大学学長は、みずからの体験を交えて設立意義について、つぎのように述べている。

「私が1970年代に留学していました米国のマサチューセッツ総合病院では、近隣のマサチューセッツ工科大学と緊密に連携して、新しい医療を創造していました。まさに医工連携による成果です。残念ながらわが国では、医療分野と工学工業分野との連携が十分でなく、結果として日本の医療産業の規模は大きくありません。

 政府が進めている医療イノベーションを達成するためには、ベッドサイドから医療ニーズを掘り起こし、先端的な技術シーズとマッチングさせることが必要です。そこで、医学系と工学系の学会の連携により医療現場とものづくり現場とを融合するプラットフォームの形成を目的として、2009年11月に『日本医工ものづくりコモンズ』を設立し、これまで医工連携に関する活動を行ってまいりました」(理事長あいさつより)。

日本医工ものづくりコモンズが企画協力したセミナーのポスターの上段部分。
※ポスター下段の「カリキュラム編成者からのメッセージ」は、画面の大きさの都合上、省略させていただきました。(公益財団法人神奈川科学技術アカデミー主催「医療機器産業参入のための基礎」)©神奈川科学技術アカデミー

 コモンズとは「共有地」を意味する。学会連携の横断的ネットワークによる医学と工学、さらに産官学の情報共有地となり、将来この共有地から国際的に競争力を有する医療産業が創成されることをめざしている。

 41歳の若さで理事を務める柏野さんは、「コモンズ理念の体現者」とも評すべき人物だ。

 昨日は東へ今日は西へと日本全国を飛び回り、「医」の臨床現場と「工」のものづくり企業を結びつけ、そこに地域行政や産業支援機関などの支援を取りつけて公的資金を獲得し、これまで中小の医療機器メーカーには不可能と思われてきた開発テーマを、つぎつぎと始動させている。

「なにやらすごい人が現れた」

 その実践例として、第一医科の場合を見てみよう。

 第一医科では現在、「難治性(なんちせい)メニエール病のめまい発作を無侵襲(むしんしゅう)的に軽減する医療機器」という開発テーマに取り組んでいる。具体的には、既存の医療機器の「鼓膜按摩(こまくあんま)器」をベースに、これまでにない「中耳(ちゅうじ)加圧治療器」を3年計画で開発しようという大プロジェクトだ。

治験を伴う開発テーマに取り組む第一医科(株)の林正晃社長。(写真撮影:根岸聰一郎)

 これまでにない医療機器を製造販売するためには、法律で定められた「治療の臨床試験」(「治験」)を行わなければならない。治験には、少なくとも1億円以上、数億円規模の費用がかかる。第一医科のように優れた技術を持ちながらも、売上が25億円規模のメーカーが、治験を伴う開発に挑戦したくとも容易にはできない理由が、ここにある。

 なんとか手立てはないものかと思案して林社長が着目したのが、経済産業省が平成22年度補正事業として発足させた「課題解決型医療機器等開発事業」(以下、課題解決型事業と略)である。事業公募の要項を見ると、機器開発関連経費だけではなく、臨床経費、治験経費、審査関連等経費などの医療機器開発に即した経費を支援すると記されていた。さらに事業実施期間を通じて、技術、知財、薬事および事業化にかかわるコンサルティングを受けることができ、中小企業技術革新制度による特許料減免措置などの各種支援措置もあるという。

 ぜひ公募したいと思い、同事業に詳しい人を紹介してほしいと取引銀行に依頼したところ、紹介されたのが「なにやらすごい人が現れた」という印象を林社長に抱かせた柏野さんだった。

 柏野さんは課題解決型事業の初代の事業管理支援法人として、前年度まで、同事業のスタートアップに携わるとともに「伴走(ばんそう)コンサルティング」という役割を担ってきた。

 パラリンピックのマラソン競技では視覚障害を持つランナーに健常者のランナーが互いの手をロープで結んで伴走してゴールまで走るが、それと同じように事業期間の最初から最後まで事業者に付き添い、事業の目的を遂げさせるのが、伴走コンサルティングの任務だ。先に課題解決型事業の特徴として「事業実施期間を通じて、技術、知財、薬事および事業化にかかわるコンサルティングを受けることができる」という支援措置を挙げたが、それは柏野さんのような伴走コンサルティングを指す。

 柏野さんは医療機器メーカーだけではなく、医療機器分野に新規参入をはかる地方のものづくり企業にも伴走者としてかかわり、1年間のうちに36件の開発プロジェクトの事業化促進に大きく寄与してきた。

「なにやらすごい人が現れた」という林社長の印象は、これまでの医療機器業界にはない希少価値を有する人物という意味では、正鵠(せいこく)を射(い)ている。

 なぜ、希少価値的存在なのか。

 それは、柏野さんがどんな体験を積み重ね、どんな知見を修得してきたのかを見ればわかる。

 1974年生まれで大阪・枚方(ひらかた)市で高校時代まで過ごす。クワガタムシとカブトムシを捕ることにかけては地元の誰にも負けないと誇っていた少年は、小学校低学年でファミコンに夢中になり、ゲームソフト会社ハドソン社の社員で「16連射の高橋名人」(高橋利幸)にあこがれる。彼の本を読んで、ゲームソフトを生み出すのはプログラマーという職種の人であることを知り、「ボンバーマン」などの生みの親として知られる伝説のプログラマー、中本伸一のようになりたいと願望し、大人になったらプログラミングを仕事にしたいと思うようになる。

 コンピュータに対して一連の動作を指示することをプログラムと呼び、それを記述するのがプログラミングだが、そのためには人工言語であるコンピュータ言語を覚えなければならない。

 初心者向けプログラミング言語として開発されたBASIC言語を中学生時代に身につけ、高校時代はそれを用いてアプリケーションの開発などを手がけ、筑波大学第三学群工学システム学類に進学する。

 第三学群は、工学を中心とする学際的な学問分野をもとに、問題発見・問題解決を志向する人材を育成する教育組織だ。そこで日々学ぶなかで「この世から決して不要とされることのない、社会的貢献度の高い分野に身を置きたい」との思いが強くなる。自分の将来のことも考慮しつつ絞り込んでいった結果、「それは医療機器の分野だ」とひらめいたという。

「大学3年生のときです。きわめて直接的に生命に近づける技術の世界ですからね。人間に生命があるかぎり、医療機器がこの世から消える日は来ないでしょう。そうと決まれば医療機器を扱う研究室に入ろうと、生体制御工学を専攻することになりました」

<技術は病室まで!>という信条

 生体制御工学の研究室では、大学4年から大学院修士課程まで太田道男教授のもとで、「血管壁の粘弾性(ねんだんせい)特性のリアルタイム同定に基づく冠動脈(かんどうみゃく)拡張(PTCA)システムの開発」という課題に取り組む。狭心症などの治療において、冠動脈の狭窄(きょうさく)部位で風船をふくらませることにより血管を拡張する手術をするが、そのときに使われるバルーンカテーテルの自動拡張システムの研究だ。

 この研究に携わってわかったことがある。それは、「自分は研究者には向いていない」ということだ。修士課程修了後、「普通に就職しよう」と考え、安定性抜群の2つの大企業から内定をもらうが、「安定性は大事だが、人生、それでいいのか」と自問した末に、総合シンクタンクの三和総合研究所(現・三菱UFJリサーチ&コンサルティング)に入社する。

 入社後の成績は当初、最も出来の悪い部類に入っていた。それまで工学研究の道を歩んできたため、シンクタンクの重要顧客である官公庁の構成すら頭に入っていなかったからだ。

「自分ができないということはよくわかった。それならば、できるようになろう」

 そうシンプルに考えて始めたのが、インターネットのウェブサイトで医療機器にかかわる審議会の議事録を、過去のものから現在にいたるまでひたすら読み込むことだ。関係する医療制度や社会保障といったテーマの議事録はもちろん、開発技術の流れをつかむために、科学技術領域の論文・資料にも目を通した。

 毎日、午前2時までこうした努力を重ねていくうちに、医療機器産業の現状や問題点だけではなく、医療や医療機器関係の政策がどのようなプロセスを経て意思決定されていくのかが理解できるようになった。

 努力は実を結び、入社3年目には日本最大の技術開発推進機関である国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(略称NEDO)による医療機器総合調査の仕事を、名だたるシンクタンクとの競合に勝ち獲得する。この調査の有識者委員会を組織することになり、そこで「私が医療機器分野で仕事ができているのは、古幡先生のご指導のおかげです」と、いまも深く感謝する故・古幡博(ふるはたひろし)・東京慈恵会医科大学医用エンジニアリング研究室室長・教授の面識を得る。

 慈恵医大と三和総研のオフィスが近かったこともあって、「いまからちょっと出てこられる?」と古幡教授から夕方に電話があると駆けつけて、2人でお茶を飲みながら深夜まで医療機器の話をした。

いまも深く敬愛する故・古幡博・東京慈恵会医科大学教授(向かって左)と柏野さん。(写真提供:柏野聡彦)

 古幡教授は<技術は病室まで!>という信条を掲げていた。医療機器開発の成功とは、その開発技術が医療現場において安全で有効なものとして広くいきわたり、製品化した企業にも経済的利益をもたらしたときに、はじめていえることだ、と考えていた。柏野さんは「医療機器をやるのであれば最も大切なことをご指導いただいた」という。ときには眼の悪い教授を手伝って論文の口述筆記も行った。

「口述筆記を任せていただくということは、古幡先生の頭の中をのぞき込める特権を得ることにほかなりません。驚かされたのは、先生の口から出る言葉が、その時点でもう完全に整然とした論文の文章になっていることでした。話が前後しない。調整不要の論文をすらすらと語って見せてくださる。

 これって、相当理解が深くて、ストーリーをどのように文章化していくかが頭の中で整理されていないと、不可能なはずです。どれほどハイレベルな脳がこの力を生むのだろうと、圧倒されながらキーボードを叩いていました。口述筆記は、私にとって先生の細やかな感覚と深い知識を感じ取れる絶好のチャンスでした」

 古幡教授とともに実施した多くの調査研究・コンサルティングを通じて、高度に専門的で体系化された知識とコンサルティングを融合させたサービスの実践を学んだ。さらに教授の紹介を得て、公益財団法人医療機器センターの委託を受け、低侵襲医療機器に関する大規模な臨床ニーズ調査に携わる。

 この調査は、医療機器の開発・改良ニーズを持つ医療者との対話の進め方を習得する貴重な機会になったという。

 現在、どの診療科の医療機器の話が出てもとくに抵抗なく理解を進められるのは、2002年当時、東京大学病院の副院長であった永井良三・自治医科大学学長から、大学病院の医療の質・安全・患者満足度に関する調査研究に携わる機会を与えられたことによる。

 大学病院の評価指標を構築するために全診療科の協力体制が組まれ、それぞれの診療科から「自分が評価されるなら、どのような指標であるべきか」が提案され、各診療科を代表する評価基準について、土日返上で徹底的に議論した。

「臨床現場の考え方を学べる貴重な機会であったとともに、当時は10歳も若かったので、自分が医療の構造の全体像と核心にすごく近づいた気がして、とてもワクワクしたことを覚えています」

 こうした体験を経て、2013年に一般社団法人日本医工ものづくりコモンズ理事、2014年に一般社団法人日本内視鏡外科学会・医工学連携委員会委員に就任する。

新規参入の壁を取り除く「製販ドリブンモデル」

 柏野さんが提唱する「製販ドリブンモデル」という考え方は、「医工の融合・連携」を念頭に置いて、医療機器関連の調査研究・コンサルディング活動のために、日本全国を飛び回る実践のなかから生み出されたものだ。

 全国どこに行っても、キラッと光るものづくり企業が存在している。企業規模では中小に分類されるが、得意分野では大企業も太刀打ちできない優れた技術を持つ。こうした企業は、自社の技術を生かして新たな事業領域に進出したいと考えている。

 また、地方自治体も、ものづくり企業の新事業展開を支援したい意向を持っている。それによって、新たな雇用が生まれ、税収も増加し、地域経済が活性化するからだ。

 新事業の進出先として、医療機器分野は魅力的に映る。その理由として、主に4点ある。

①国内外ともに需要増が見込まれる成長市場であること。

②長年蓄積してきたものづくりの技術が生かされる事業領域であること。

③国が重点成長分野に指定し、各種の支援策が立ち上げられていること。

④日本市場だけではなく海外市場にも進出できる有望性が高いこと。

 しかし一方では、医療行為にかかわる業種なので、いろいろと厳しい規制があり、参入障壁が高いのではないかという不安を抱いている。実際に慣れない医療機器の製造に多額の資金を投じて企業生命が危うくなったという事例も見聞している。

 柏野さんは、新規参入しようとするものづくり企業にとってのハードルは、5点に集約されるという。

 1点目は、臨床現場との関係構築と維持だ。臨床現場の医師から1回話を聞けば医療機器が開発できるというものではなく、医療機器ができるまで、ニーズを聞き続け、現場を見続けなければならない。従来事業を続けながら普段はつきあいのない臨床現場の医療者たちとの関係を構築し、維持し続けるのは簡単ではない。

 2点目は、臨床ニーズの目利(めき)きだ。その臨床ニーズは、特定の医師だけではなく広範な医師が求めているものであるかということも含めて目利きをする必要がある。

 3点目は、市場環境および法規制を踏まえた製品デザインだ。これは研究開発のゴールを設定することにあたるものだが、新規参入する企業にとっては市場も法規制も未知な領域なので、困難を伴う。

 4点目は、医療機器の製造販売承認を取得するためには医薬品医療機器法などの法規制に対応しなければならないが、この分野の知識と経験がないため試行錯誤を繰り返さねばならない。

 5点目は、製品化でき販路を確保したからといってそれで終わりではなく、メンテナンス・修理などサポート体制を構築しなければならない。

 柏野さんが医工連携を進めてきて強く認識したのは、これらのハードルを新規参入企業だけで乗り越えるのは、きわめてむずかしいということだ。医工連携による事業化の成功率を上げるためには、これら困難点を克服できる要素をプラスしなければならない。

 そこで着目したのが、医薬品医療機器法における製造販売業、略称「製販」を業とする企業である。

 製販企業が持つノウハウをもってすれば、これらのハードルを比較的効率的に越えていけるのではないか。これからの医工連携の方向性は、製販企業がイニシアティブをとって事業化を推進する体制をまずつくって、そこにものづくり企業や大学や高専などが参画していくようなかたちにするべきではないだろうか。

 そして、このような形態を、製販企業が強力な駆動力・推進力、すなわちドライビング フォースになっていく姿から「製販企業ドリブン型・医工連携モデル」(図表1)、略称「製販ドリブンモデル」と名づけた。

図表1 製販企業ドリブン型・医工連携モデルの全体像©柏野聡彦
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国内最大の医療機器開発の集積地、本郷エリア

 このとき、ドライビング フォースの役割を果たす製販企業として視野に入れたのが、東京大学医学部がある本郷キャンパス周辺に立地する医療機器企業群だ。

 本郷エリアは、医療機器の製造・販売等を営む商工業者の国内最大の集積地といえる。日本医療機器協会の会員企業約330社のうち約130社が本郷エリアに立地している。「多品種・少量」製販が、医療機器の特徴の1つだが、本郷エリアの企業群はそれを象徴している。売上規模は10億円~20億円台が中心だが、それぞれの企業は特定の診療科や領域向けの優れた機器を開発し、臨床現場との関係性も保っている。

 医療機器開発一筋に歩んできた、創業年数の長い老舗(しにせ)企業が多く、医療機器の市場動向に詳しく、法規制に対応するノウハウを知財の1つとして社内に蓄積している。

 さらにこれが重要なのだが、自社資源だけでは進められない開発テーマを持っており、ものづくり企業とのマッチングや公的資金の活用に関するサポートニーズがある。

 各企業はそれぞれ得意分野を持っているが、医学の進歩は著しい。臨床現場からは自社製品に対する改良の要望が、常日頃から寄せられる。要望に応えられない状況が続くと、他社製品や海外製品に取って代わられるおそれもある。それゆえに、製品改良や新製品開発に迅速に取り組みたいのだが、自社が調達できる資金力や技術力だけでは十分に対応できない。

 本郷エリアの企業群には、こうした状況にあるところが多い。外部からの開発資金等があれば、取り組みたいテーマ、取り組めるテーマを持っている。また、優れたものづくり企業と提携して製品力を高めたい意欲もある。

 しかし反面、臨床現場の要請に応えるために公的資金を活用したいが、活用するノウハウを身につけていない。優れたものづくり技術を導入したいが、技術を有する企業を知らない。ということは、公的資金の活用やものづくり企業とのマッチングに関するサポートニーズはある、と解釈できる。

 柏野さんは製販ドリブンモデルのメリットを、つぎのように解説する。

「ものづくり企業にとってのメリットは、得意技を生かして、しかも医療機器市場に関する知識や法規制への対応といった苦手な部分は製販企業に分担してもらいながら、医療機器の部品・部材の供給という新しい事業を開拓できることです。無理なく円滑に医療機器産業に参入し、視野を広げることができます。

 一方、製販企業にとってのメリットは、自社の負荷(ふか)が軽減されるかたちで自社の改良品や新製品を獲得できることです。臨床現場の要請に応える製品を生み出すことで、臨床現場との新たなパートナーシップを強化することができます。それによって既存製品の売上拡大にもつながり、ものづくり企業の力を活用して、自社事業を拡大・強化できるわけです」

よし、挑戦してみよう! だけど、お金、出せるの?

 製販ドリブンモデルが実際にはどのようなものであるか。前述した第一医科の「難治性メニエール病のめまい発作を無侵襲的に軽減する医療機器」という開発テーマを製品化する形態を見てみると、よくわかる。

 第一医科のほかに、富山大学、河西医療電機製作所、ハイメック、富山県新世紀産業機構と4つの組織がかかわっている。図表2は、互いの関係性とそれぞれの役割を記したものだ。

図表2 第一医科の「中耳加圧装置」開発に見る「製販ドリブンモデル」。©第一医科(株)
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 医療ニーズは、基本的には大学のドクターが持っている。難治性メニエール病のめまい発作を、患者のからだへの負担が少ない方法で軽減する機器を開発してほしい、というのは、かねてからの臨床現場の強い要請であった。

 第一医科が事業管理機関に提出した「事業成果概要」には、つぎのように記されている。

【めまいを伴う難病「メニエール病」治療には「クスリ」「手術」そして海外では第3の方法として低侵襲な「中耳加圧治療」があるが、日本では認められていない。そこで、日本にある無侵襲な既存医療機器を改造し、中耳加圧治療を可能とする。初年度(平成24年度)中に試作機完成、「新型鼓膜按摩器」として認証取得する。次いで取得から2年以内を目標に認証取得済み「新型鼓膜按摩器」を使っての治験を経て、日本における「中耳加圧装置」による新しい治療方法の確立を目指す】

「中耳加圧装置」の使い方を説明する林社長(向かって左)と柏野さん。(写真撮影:根岸聰一郎)

 第一医科にとっては治験が伴う大事業だが、大学病院の教授にとっても臨床データなどのエビデンスを構築して、機器の安全性と有効性を立証し、機器の導入・普及に努めねばならず、一大決心を要する。林社長が、「先生、この企画はいかがですか」と尋ねると、教授からは応諾の決意とともに疑問も呈せられた。

「よし、挑戦してみよう! だけど、第一医科さんで、お金、出せるの?」

 資金の面で支援する役割を果たしたのが、公益財団法人富山県新世紀産業機構だ。

 同機構は、富山県の産業を一体的、効率的に支援していくために誕生した機関で、創業・ベンチャー、経営革新、技術開発、販路・流通拡大等、企業経営や事業展開のなかで直面するさまざまな課題に対して、効き目のある解決をはかるためにワンストップで支援する総合支援機関である。

 ワンストップ支援とは、複数の行政が行っている支援事業を1つの窓口で受けることができる機能を持っていることを指す。経産省の課題解決型事業の窓口にもなっている。同事業では年間8000万円の委託費を3年間支給されるしくみがあり、第一医科はこれにより2億4000万円を上限とする開発資金を確保し、治験を伴う開発に取り組むことが可能となった。富山県新世紀産業機構は医工連携支援の役割を果たし、開発プロジェクトを成功に導く事業管理機関として位置する。

 河西医療電機製作所は、ポンプ・コンプレッサーおよびこれらを制御する技術をベースに、吸引器製造において業界ナンバーワンを誇る。一品一品、手づくりで製作し、多品種少量生産を最も得意とするものづくり企業だ。第一医科に対して、計装および外装設計、製品試作、生産プロセスの確立などで協力する。

 ハイメックは、富山市に立地する医療機器販売の専門商社だ。第一医科の耳鼻咽喉科向け機器を富山県内で販売し、富山大学は主要顧客だ。同社は第一医科が富山大学で治験を進めるにあたって器械をそろえたりするとともに、臨床現場の意見や要望を第一医科に伝える役割を担う。卸企業・代理店として販売ノウハウの助言も行う。

 公的資金の委託を受けて治験を伴う開発に取り組めるようになると、他の大学病院のドクターからも「国から委託を受けて治験を始めたんだって! ぜひ取り組みたい研究テーマがあるから、今度組もうよ」と声をかけられるようになった。これまでなら考えられなかったことである。

 思わぬ変化は、社内にも生じた。

 自分たちが取り組んでいる仕事は、国や地方公共団体からの委託を受けて、公金を使わせてもらっているという意識は、開発に携わる人たちの意欲と責任感を高める効果を生んだ。社外の関係組織との連携は、チームワークの大切さへの自覚を促し、コミュニケーション能力の向上をもたらした。なによりも大きいのは、組織全体に仕事へのプライド感が植えつけられたことだ。

「柏野さんから、公的資金を注入できたら、ものすごいことになりますよ、と聞かされていましたが、それが本当だと実感しました」と、林社長は笑う。

 第一医科がドライビング フォースになって、地域の産業支援機関やものづくり企業、地元ディーラーなどと連携して新製品開発に取り組む姿は、柏野さんが構想する「製販ドリブンモデル」の具現化した姿でもある。

わずか1年半で新製品を開発

 柏野さんが製販ドリブンモデルの利点の1つとして挙げるのは、開発期間の短期化だ。

 医療機器の開発では、簡単なものでも3年~5年かかる。複雑で新規なものは5年~10年を要する場合も、珍しくはない。

 この点でも、第一医科は山形県の企業と協力して、1年半の期間で新製品を開発して話題となった。日経産業新聞は「耳検査器具にLED──第一医科 山形の企業と開発」との見出しで記事を掲載した。

「耳鼻咽喉科の医療機器大手、第一医科(東京・文京)は、山形の精密機械メーカーと協力し、発光ダイオード(LED)を光源に使った目の検査器具を開発した。患者の耳を照らしながら拡大視する『オトスコープ』と呼ばれる器具で、横に開いたスペースから別の器具を入れて鼓膜を切開したりできる。ものづくりの技術を持つ地方企業の力を医療機器に生かした事例で、1年半程度の短期間で製品化にこぎ着けた。

 処置具を入れられるタイプのものは少なく、第一医科は米国製の製品を輸入販売してきた。ただ品質のばらつきや光量不足が課題で、LED光源へのニーズが高まったのを機に自社開発を決めた。

 開発で提携したのはシュレッダーなどを手掛ける石沢製作所(山形県山辺町)。山形県産業技術振興機構から紹介を受けた企業で、新たに導入した3Dプリンターでさまざまなタイプの試作品を作成した。第一医科の担当者が試作品を医師に見せ、改良を繰り返した。

 新製品は新たな試みとしてスマートフォン(スマホ)を取り付ける撮影用アダプターも用意した。耳の穴の様子を画像で残せるほか、患者本人や家族に見せ、病状を理解してもらうのにも役立つ。

 価格は11万5000円で、10万円弱だった従来品よりやや高い。ただ従来は電球の交換が数カ月に1回必要で、5000円程度かかっていたのに比べると全体のコストは下がる。

 国内で年間200~300台の販売を目指すほか、海外展開も目指す」(日経産業新聞2015年1月16日)

 この開発でも、経産省中小企業庁から「ものづくり補助金」として約1000万円の支援を得ている。

医療機器で、日本を元気にする

 柏野さんが提唱する製販ドリブンモデルを本格的に導入した最初の自治体は、青森県だ。

 青森県では本郷エリアの製販企業との連携に向けて、「本郷ツアー」「医工連携セミナー」「本郷展示会」の3つのイベントを実行した。

 本郷ツアーは、地域医工連携活動の担当者数名(地域行政機関、産業支援機関、大学・研究機関などに所属)が本郷エリアの製販企業を1日で7社程度訪問し、意見交換を行う。意見交換を通じて、地元ものづくり企業との共同開発の可能性や開発テーマのイメージ、本郷エリアの製販企業が地域の行政機関に求める支援内容や連携の進め方について共通の理解をはかる。

 柏野さんによると「これは、いける!」という感覚・認識を共有するためのイベントで、柏野さんがツアーコンダクター兼ファシリテーター(議事進行・とりまとめ役)を務めた。

「医工連携セミナー」は、地元のものづくり企業を対象としたセミナーで、本郷ツアーに参加した地域医工連携活動の担当者が、本郷エリアとの連携に向けて、地元ものづくり企業との認識の共有をはかる場だ。

 青森市で開かれたセミナーのプログラム構成は、①わが国の医工連携の全体像の講演、②製販企業ドリブン型・医工連携モデルに関する講演、③製販企業とものづくり企業との連携の実践に関する講演、④医薬品医療機器法のポイントに関する講演。セミナーに参加すれば、製販企業ドリブンモデルを含めて医工連携の理論から実践までが、一気に理解できるしくみになっている。

 本郷展示会は、「いざ、本郷へ」の掛け声のもと、地元ものづくり企業が本郷エリアに乗り込んで自社の技術を見せる展示会を行い、そこに本郷の製販企業を招いてマッチングを行うイベントだ。医工連携を推進する地域行政機関等が中心になって開催される。

青森県による本郷展示会の様子。©柏野聡彦

 このイベントの最大の特徴は、展示会を通じて本郷エリアの企業と地元ものづくり企業との間で共同開発案件が生まれた場合、その案件に関して公的資金の獲得を含めて、地域コーディネーターの強力なフォローアップが行われることにある。

医療機器参入のための実践的ガイドブックとして好評の著作。

 本郷エリアと製販企業とを効率的に結びつけるこれらの催しは、2013年度は7回、2014年度は13回の開催と認知度を高め、全国的な広がりを見せている。製販ドリブンモデルの解説・実践書である柏野さんの著作『無理なく円滑な医療機器産業への参入のかたち』(じほう刊)は、医療機器分野に関心を持つものづくり企業にとっての格好なガイドブックになっている。

 柏野さんの特徴は、持ち前の行動力に加えて、問題解決能力がきわめて高いことだ。

 その点に話が及ぶと、「子供のころにプログラミングを覚えたのがいまでも役に立っている」という。プログラミングを行ううえで欠かせないものに「アルゴリズム」がある。アルゴリズムとは「問題を解く手順を表現したもの」だ。その手順を矛盾なく厳密に表現する手段がプログラミングなのだ。

 そういえば、『子どもを億万長者にしたければプログラミングの基礎を教えなさい』(松林弘治著、KADOKAWA刊)という本が話題になっている。

子供のときにプログラミングを覚えると問題解決能力が高まる。

 米国のオバマ大統領が2013年に全米の小・中学生に向けて、こんなビデオメッセージを送った。

「コンピュータ科学のスキルを学ぶことは、あなたの将来に役立つだけでなく、わが国の将来のためにも大切です。わが国がこれからも世界の最先端であり続けるために、皆さんのような若い人たちに、テクノロジーやツールを習得してもらい、私たちの生活を変えていってほしいのです。皆さんもぜひ、この流れに参加してください。

 ビデオゲームを買う代わりに、ビデオゲームをつくってみませんか? 最新のアプリをダウンロードする代わりに、アプリをデザインしてみませんか? スマホゲームで遊ぶ代わりに、スマホゲームをプログラミングしてみませんか?」

 大統領の呼びかけに応えて、米国では幼稚園児から小中学生の間にプログラミングを習う児童が増えている。いやがる子供を無理やりプログラミング教室に通わせる親もいる。そんな親は子供の将来に富豪になる夢を託しているのかもしれない。

「日本を医療機器で、元気にする」と語る柏野さん。手にするのは、開発期間の短期化を成し遂げた製品「オトスコープ」。(写真撮影:根岸聰一郎)

 マイクロソフトの創業者、ビル・ゲイツの推定資産は810億ドル(約10兆円)、フェイスブックの創業者マーク・ザッカーバーグの推定資産340億ドル(約4兆2000億円)などと、米国の富裕層にはIT長者が多い。彼らはいずれも子供時代にプログラミングを身につけている。先の本のタイトルも、そこから名づけられている。

「柏野さんも、米国でIT企業の経営者になって、富豪になる可能性がありましたね」と問うと、明快な答えが返ってきた。

「いや、私のミッション(使命)は、日本を医療機器で、元気にすることです」