医工連携「製販ドリブンモデル」開発物語(page 4)

医療機器産業への参入を成功させる

2015/08/21 00:00
福山 健=日医文化総研
出典: 「知遊」第24号,2015年7月発行 ,pp.48-59 (記事は執筆時の情報に基づいており,現在では異なる場合があります)

<技術は病室まで!>という信条

 生体制御工学の研究室では、大学4年から大学院修士課程まで太田道男教授のもとで、「血管壁の粘弾性(ねんだんせい)特性のリアルタイム同定に基づく冠動脈(かんどうみゃく)拡張(PTCA)システムの開発」という課題に取り組む。狭心症などの治療において、冠動脈の狭窄(きょうさく)部位で風船をふくらませることにより血管を拡張する手術をするが、そのときに使われるバルーンカテーテルの自動拡張システムの研究だ。

 この研究に携わってわかったことがある。それは、「自分は研究者には向いていない」ということだ。修士課程修了後、「普通に就職しよう」と考え、安定性抜群の2つの大企業から内定をもらうが、「安定性は大事だが、人生、それでいいのか」と自問した末に、総合シンクタンクの三和総合研究所(現・三菱UFJリサーチ&コンサルティング)に入社する。

 入社後の成績は当初、最も出来の悪い部類に入っていた。それまで工学研究の道を歩んできたため、シンクタンクの重要顧客である官公庁の構成すら頭に入っていなかったからだ。

「自分ができないということはよくわかった。それならば、できるようになろう」

 そうシンプルに考えて始めたのが、インターネットのウェブサイトで医療機器にかかわる審議会の議事録を、過去のものから現在にいたるまでひたすら読み込むことだ。関係する医療制度や社会保障といったテーマの議事録はもちろん、開発技術の流れをつかむために、科学技術領域の論文・資料にも目を通した。

 毎日、午前2時までこうした努力を重ねていくうちに、医療機器産業の現状や問題点だけではなく、医療や医療機器関係の政策がどのようなプロセスを経て意思決定されていくのかが理解できるようになった。

 努力は実を結び、入社3年目には日本最大の技術開発推進機関である国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(略称NEDO)による医療機器総合調査の仕事を、名だたるシンクタンクとの競合に勝ち獲得する。この調査の有識者委員会を組織することになり、そこで「私が医療機器分野で仕事ができているのは、古幡先生のご指導のおかげです」と、いまも深く感謝する故・古幡博(ふるはたひろし)・東京慈恵会医科大学医用エンジニアリング研究室室長・教授の面識を得る。

 慈恵医大と三和総研のオフィスが近かったこともあって、「いまからちょっと出てこられる?」と古幡教授から夕方に電話があると駆けつけて、2人でお茶を飲みながら深夜まで医療機器の話をした。

いまも深く敬愛する故・古幡博・東京慈恵会医科大学教授(向かって左)と柏野さん。(写真提供:柏野聡彦)

 古幡教授は<技術は病室まで!>という信条を掲げていた。医療機器開発の成功とは、その開発技術が医療現場において安全で有効なものとして広くいきわたり、製品化した企業にも経済的利益をもたらしたときに、はじめていえることだ、と考えていた。柏野さんは「医療機器をやるのであれば最も大切なことをご指導いただいた」という。ときには眼の悪い教授を手伝って論文の口述筆記も行った。

「口述筆記を任せていただくということは、古幡先生の頭の中をのぞき込める特権を得ることにほかなりません。驚かされたのは、先生の口から出る言葉が、その時点でもう完全に整然とした論文の文章になっていることでした。話が前後しない。調整不要の論文をすらすらと語って見せてくださる。

 これって、相当理解が深くて、ストーリーをどのように文章化していくかが頭の中で整理されていないと、不可能なはずです。どれほどハイレベルな脳がこの力を生むのだろうと、圧倒されながらキーボードを叩いていました。口述筆記は、私にとって先生の細やかな感覚と深い知識を感じ取れる絶好のチャンスでした」

 古幡教授とともに実施した多くの調査研究・コンサルティングを通じて、高度に専門的で体系化された知識とコンサルティングを融合させたサービスの実践を学んだ。さらに教授の紹介を得て、公益財団法人医療機器センターの委託を受け、低侵襲医療機器に関する大規模な臨床ニーズ調査に携わる。

 この調査は、医療機器の開発・改良ニーズを持つ医療者との対話の進め方を習得する貴重な機会になったという。

 現在、どの診療科の医療機器の話が出てもとくに抵抗なく理解を進められるのは、2002年当時、東京大学病院の副院長であった永井良三・自治医科大学学長から、大学病院の医療の質・安全・患者満足度に関する調査研究に携わる機会を与えられたことによる。

 大学病院の評価指標を構築するために全診療科の協力体制が組まれ、それぞれの診療科から「自分が評価されるなら、どのような指標であるべきか」が提案され、各診療科を代表する評価基準について、土日返上で徹底的に議論した。

「臨床現場の考え方を学べる貴重な機会であったとともに、当時は10歳も若かったので、自分が医療の構造の全体像と核心にすごく近づいた気がして、とてもワクワクしたことを覚えています」

 こうした体験を経て、2013年に一般社団法人日本医工ものづくりコモンズ理事、2014年に一般社団法人日本内視鏡外科学会・医工学連携委員会委員に就任する。

お知らせ

ピックアップPR

もっと見る

記事ランキング