パルスオキシメータ開発の貢献者をたどり、「医工連携」の原点を見た

2014/07/16 00:00
久保田 博南=ケイ・アンド・ケイジャパン 代表取締役社長(医工連携推進機構 理事)
パルスオキシメータの製品例(写真はイメージ。本文内容とは関係ありません)
パルスオキシメータの製品例(写真はイメージ。本文内容とは関係ありません)
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 パルスオキシメータ開発の歴史を概観していたら、本年(2014年)は発明からちょうど40年になることを知って、感慨深い思いになった。パルスオキシメータは、理論としての面白さや特異性は言うに及ばず、その開発過程に見る医療機器産業としての興味ある実例にも挙げられるからだ。

 このパルスオキシメータについて、前回のコラム で「仕掛け人は誰か?」という疑問符付きのコメントを書いたところ、いくつかの反響をいただいたので、続編として書きたすことにした。

答えは、一人の米国人プラス日本企業

 何回かに渡り、電子メールを送っていただいたのは、業界の先輩であるA氏。曰く、「ご存じのとおり、米Nellcor(ネルコア)社の創始者、William New(ニュー)氏ですよ」とある。

 ここで一つの証拠材料を示そう。パルスオキシメータに詳しい諏訪邦夫氏の著書である1)。本書には、スタンフォード大学の麻酔科医師だったニュー氏が、麻酔科医の立場を放棄してネルコア社を立ち上げ、パルスオキシメータを商品化した経緯が明確に記されている。

1)諏訪邦夫、『血液ガスをめぐる物語』、中外医学社、2007年

 実は、この件については前回の原稿作成時点で、日経デジタルヘルス編集部から同じような指摘が出ていた。「アメリカ人と推定する」程度の表現にしていたため、推定する根拠は何かというコメントだったように思う。

 しかし、結論として断言してしまったら、前回のテーマの主旨に反し、全体の流れが止まってしまう危惧があった。さらには、書いてしまったらそれ以上の情報が入ってこなくなる、と思ったのだ。

 A氏の電子メールを読んでみて、筆者の目論見にうまく反応してもらった、と感謝している。というのは、大方の理解としてはそれだけに留まっていたのに、新たな追加情報もいただけたのである。それは何と、ニュー氏の技術的なサポートとして、日本の会社であるスタンレーの寄与が大きいという事実を知らされたことだ。

「医工連携」の先駆者としてのお手本

 1980年代の初期、それまで優れたLEDなどがなかった時代に、ネルコア社の初期パルスオキシメータのセンサ材料やLED、フォトダイオードはすべて日本からの輸入に頼っていたという歴史が明らかになった。

 この話を聞いて、感じたことがある。

 医師であるニュー氏が医療に必要と見込んで作り上げた会社と製品こそ、現代の産業界での流行語ともいえる「医工連携」の精神そのものだ。一を二にする努力に比して、ゼロなるものを一にする努力は、対比しようもないほどの差異がある。麻酔中に必須となる情報提供機器と見込んで商品化したこと、その目標達成のために企業人に転身してまで実現に努力したこと――。この決断こそ、パルスオキシメータ普及の礎となったといっていい。

 「医工連携」は、口で言うほど簡単ではない。医師のほしいものを単にものづくり企業が作る、というようなものではない。ましてや、医工が協力して、基礎研究とか試作をすれば「商品」ができるわけでもない。

 その実践例として格好のテーマとなったニュー氏がなぜネルコア社を設立したかなどの経緯は、いくつかのWebサイトでも読むことができる。当時、利用できた最新の部材やデジタル技術の導入など、その優れた選択眼も見事だったというしかない。

 前出の諏訪氏の著書の中で、パルスオキシメータ開発において日本が米国の後塵を拝した理由の一つに「日本にニュー氏がいなかったこと」と明言している。

 まさしく同感だが、パルスオキシメータ商品化の立役者としての米国人の影に、一つの日本企業の存在があることを知って、やや安堵感を覚えた。「一矢を報いた」という程度のものでなく、今後の開発競争にもまだ多くのスペースが残されていると感じたからだ。