エンジニアの転職先として、顧客という選択肢もあります。私が東芝でフラッシュ・メモリを開発していた時も現在でも、フラッシュ・メモリ・メーカーの最大の顧客はAppleです。Appleにとっては、フラッシュ・メモリはiPhone, iPad, iPodなどの製品のコストの最も大きな部分を占めている、重要な部品です。

 Appleにとってフラッシュ・メモリの価格交渉は最終製品の低コスト化のために重要ですし、自社の製品に合うように、フラッシュ・メモリの仕様をコントロールすることも大事です。一方、フラッシュ・メモリ・メーカーは、自社にとって有利な製品を、できるだけ高い価格でAppleに売ろうとします。

 フラッシュ・メモリ・メーカーとのせめぎ合いを有利に進めるため、Appleはフラッシュ・メモリやストレージを専門とするエンジニアを雇用していました。このように、顧客企業にエンジニアが転職することは、米国では良くあることです。

 エンジニアが技術の知識を活かして、科学技術を社会に伝える、メディアやサイエンス・コミュニケーションに携わるというキャリアも良いでしょう。

 Tech-On!を運営している日経BP社の日経エレクトロニクスの記者の方には、企業のエンジニア出身の方が多くいらっしゃいます。企業でのエンジニアの経験が無ければ、技術やビジネスモデルを理解し、深い洞察に基づく記事を書くことは難しいでしょう。また、自身がエンジニアとして働いていたため、日本のエンジニアが何を考え、何を悩んでいるかを、肌感覚で理解できる。エンジニアの気持ちを理解できるので、取材でもエンジニアに信頼され、エンジニアの懐に入り込んで、貴重な技術情報を取れるのではないでしょうか。

 もっと跳んだ異分野への挑戦では、技術系企業に投資する、ベンチャーキャピタルなどの金融機関に移り、投資先企業の技術を評価する仕事をしているエンジニアもいます。また、技術者として培った論理力・解析力や、エレクトロニクス業界の知識を活かして、経営コンサルタントになるエンジニアもいます。元マッキンゼー 日本支社長の大前研一さんは、日本を代表する経営コンサルタントですが、前職は原発のエンジニアでした。福島原発の事故や放射線汚染に関する、大前さんの鋭い指摘や提案を聞かれた方も多いでしょう。

 私自身も、専門知識を異分野で活かしているエンジニアの一人です。私は東芝で15年の間、フラッシュ・メモリの回路設計を行い、4年前に大学に移りました。大学では、数千億円もの投資を必要とするフラッシュ・メモリの研究はできません。大学への転職は自ら選んだ選択肢とはいえ、長年携わった得意分野の研究ができなくなるのは、きついものです。

 大学に移ってから注力しているのは、メモリを使いこなすためのコンピュータ・アーキテクチャやソフトウエアの研究です。フラッシュ・メモリやReRAM・PRAM・MRAMなどの大容量・高速・低電力で電源を切っても記憶を保持する不揮発性のストレージ・クラス・メモリは、桁違いの高速化・省エネといったコンピュータ・アーキテクチャの革新をもたらす可能性があるからです。

 大学にはコンピュータ・アーキテクチャやソフトウエアの専門家はたくさんいます。情報工学の専門知識では、私がかなうはずがありません。しかし、イノベーションの源泉はメモリです。私もメモリの専門家という強みを活かせば、メモリを知らないシステムの研究者の中で、勝機が出てくるのです。

 まずは、専門技術を極めて、技術のプロになる。ビジネスや会社の動向を長期にわたって見通すことは不可能です。視界不良の中でも、専門技術を活かせる分野は、きっと世界のどこかにあるはず。もし事業転換などで、キャリアの転換が必要になったら、多少は不本意であっても、自分の技術の強みを、他の分野で活かすことを考える。

 「原子力ムラ」のような既得権益集団になっては良くないのですが、エンジニアが様々な分野・業種で専門知識を活かすことで、社会全体が活性化され、より一層、発展できればとも思っています。

 エンジニアやその家族にとって、会社や仕事内容が変われば生活が変わりますので、キャリアの変更は大変です。異分野に打って出るのは、新しいゲームのルールの中で戦う必要があります。新分野では、過去の自分の成功体験を否定したり、仕事の進め方や考え方を変えることも必要でしょう。

 実際に、会社や分野が変わった知人を見ていると、未知の人や組織、異なる文化と関わり、多くの修羅場に遭遇し、大変な苦労をされています。しかし、苦労をされた経験の分だけ、技術者として、マネージャー、そして人として、幅を広げていらっしゃいます。こうして、事業転換や買収劇が、エンジニアのキャリアとしても、「災い転じて福」となればと考えています。