使い終わった鋳型を崩した「鋳型土」をふるいにかけて目の大きさを揃えていく。
使い終わった鋳型を崩した「鋳型土」をふるいにかけて目の大きさを揃えていく。

 ただ、これらの重宝な素材が常に手元にあったわけではなかったはずだ、と大西は言う。

「出吹(でぶき)というのがあるんでね。三条釜座の職人が出かけていって、現場で仕事をするわけです。出先で、現地の鋳物師と一緒に仕事をすることもあったでしょう。そういった時は、現地の素材を使って仕事をしていたはずです」

 輸送はもっぱら人馬に頼っていた時代、梵鐘や仏像など大きなものは「出吹」で制作するのが当然だったのかもしれない。けれども、鉄はまだしも、特別な場合を除いて砂まで持っていくことは困難だっただろう。その場で調達できるものをうまく組み合わせ、調整をして、作品へと仕上げていく対応力が鋳物師たちに求められたのである。

 挽き上がった鋳型には、きめの細かい滑らかな肌に木型を回したことによってついた筋がうっすらと並行についている。大西はこの鋳型作りにおいて大事なのは、順を追って挽き上げまで行ってきちんとした形を作ることだと言う。確かに、釜は鉄の朽ちゆく様や、やつれた様をも鑑賞の対象とした美術品である。だからと言って、例えば荒れた肌を出そうとして、粗い砂の段階で止めて鋳型にしようとしてもいい結果は得られない。挽き上げの細かな粒子でなければ、木型に託した微妙な曲線が正確に反映されないのである。

 滑らかな肌を荒らして鉄の朽ちた風情を出そうとするだけではなく、釜作りにおいては、羽落ちや覆垂れ、あるいは「いかに円を崩して、心地良い円にするか」と大西が言うデザインに至るまで、一度完成したものを崩していくという作業が随所で行われている。いずれも、ベースがしっかりとしているからこそ、それを崩しても全体に破綻が現れない。逆に基本がしっかり整っていないままに、最初から崩れてしまった装飾やデザインは、道具としての理からはずれた、どこか無理を感じさせるものになってしまうという。

 挽き上がった鋳型に鉄を流し込んでついた模様をそのまま肌とする釜もあるが、基本的にはこれをベースとして、肌打という加工を施していく。タンポで泥や砂を鋳型に打ち付けるなどして朽ちた風合いを人工的に再現する肌打には、石の粗い表面の感じを出した石目肌、柚の皮を連想させる柚肌、土を弾いてつくる弾き肌、その他砂肌、筆目肌、霙肌(みぞれはだ)などといった多種多様な種類があり、それぞれに独特の味わいが釜肌に現れる。古い釜の中には、実際に腐食して出た釜肌もあり、肌打を行うようになったのはいつ頃か判然とはしていないが、室町、桃山時代の芦屋釜や天明釜などには意図的に施されているものがすでに存在するという。