図10

 作業が速ければ、多くの注文がさばけるから売り上げは増える。表具師にとっては、大きな武器であろう。だが、どんなに多くの仕事をこなせる能力があっても、注文がなければ意味がない。昨今のように床の間をもつ家が減り、一般家庭で掛軸を掛け替えるという習慣が影を潜めてしまった時代に、これは切実な問題である。

 こまめに「御用聞き」をして回る、などという手段もあるだろう。けれど仕事に満足してもらえなければ「次」はなく、結局は先細り。期待に応え、信頼を勝ち得る以外に生き残る道はないのである。

 職人技はそのためのベースではあるが、それがすべてでない。本紙の補修から裂選び、さらには紐への気配りまで、書画の美と価値を最大化させるための選択、気配り、こだわりのすべてが問われるのだ。

図11

 北岡は、多くの依頼主と接していくなかで、そのことを知った。なかでも、美術史家ポール・ベリーとの出会いが大きかったと彼は振り返る。最初の出合いは、独立して下鴨に工房をもって数年たったころ、ある美術商からの紹介だった。近世絵画を中心に日本美術に強い関心を寄せていたベリーが、自らのコレクションの修復をしてくれる表具師を探していたのである。

 ただし、注文は厳しかった。専門家でも難しい絹本(絹地の本紙)の染み抜き、入手しにくい裂地や紙のリクエストなどなど。しかもベリーの注文は微に入り細にわたる。それに応えるためには相当の時間と労力がかかるし、費用もかかる。「とても割に合わない」と、大抵の表具師はベリーの仕事を請けたがらなかったのだという。

 それでも北岡は請けた。

「こっちは独立したてで自信がないし、仕事も立て込んでるもんやから、そら不安ですわ。そやけど美術商の方も薦めてくれてることやから、これも勉強や思うてね。請けることにしたんです」

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 その内容は、うわさに違わぬものだった。注文は細部にまで及び、1幅の掛軸についての打ち合わせが2時間、3時間に及ぶこともあったという。しかも、相手は外国人である。ときとして日本語は分かりづらい時もあった。それでも北岡は根気よく、その求めるところを理解しようと耳を傾け、注文に対しては労力を厭わずに取り組んだ。古画にふさわしい裂地を1年も2年もかけ、やっと探し出したりもした。

 こうして出来上がった掛軸は、どれもベリーの期待を裏切らないものだった。「ただ言われた通りにするだけでなく、必ず何かアイデアを示してくれる。そして予想以上の仕事をする」と、ベリーは北岡を評する。特にベリーの記憶に残っているのは、棟方志功の肉筆画の表装だった。もともと掛軸だったが、あるときから額装に変えられていた作品である。それを北岡は、現代風の取り合わせで再び掛軸に仕立てたのである。印象を一新させ、作家本来の躍動感を見事に引き出す表具だったという。