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 それでも「表具の形にするだけやったら、器用な者ならそれほどの年数はかからんと思う」と、北岡は言う。ではなぜ、5年~10年もの年月を修業に当てることが、これまでずっと続けられてきたのか。もちろんいくつも理由はあるだろうが、その一つは、表具師の修業は技の習得だけではないということだ。技が身に付いた後でしか師匠から盗めないものがあり、それこそが表具師にとって極めて重要なことなのだろう。

 岡崎清光堂で師匠が亡くなってしばらくして、昭の元から一つ、二つ、と仕事が減っていった時期があった。「あんたに頼んだのやない。親父さんに頼んでいたのや」。長く付き合いがあった取引先や父と懇意だった画家などから表具の依頼を受け、預かっていた作品が次々に引き取られていったのだ。昭は愕然とした。

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 注文主の立場で考えれば、分からないでもない。宝物のように大切にしている絵画や書を、人となりやそれまでの仕事ぶりを十分に知らない人間に託すには、やはり抵抗があるだろう。たとえ自分が見込んだ表具師の息子であり、その薫陶を受けた確かな腕前の表具師であっても、である。まして現在の倍以上もの数の京表具師たちが鎬(しのぎ)を削っていた時代、作品に思い入れがあればあるほど、表具師を選びたくなるものだ。表具師の信用とは何か、信用を得るために必要なものは何か。昭は父親が亡くなって初めて、その意味を自身に問いかけることになった。

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 まずは技。やわらかく、掛かりよく仕立てなければならない。だがそれだけが表具師の仕事ではない。 例えば、「染み抜き」の仕事がある。きものなど衣服の染み抜きと言えば、うっかり付けてしまったコーヒーや泥はねなどによる「シミ汚れ」を取り去ることだが、表具の場合は本紙の表面に発生したカビや付着した汚れをきれいに取り除くことをいう。表具師の間ではこの作業を「洗い」と呼ぶ。

 北岡の工房では、カビや汚れの種類や度合いによって複数の方法を使い分けているのだという。北岡以外にも「洗い」を扱う表具師はおり、各々が経験の積み重ねによって効果的な薬品や手法を編み出し、「秘伝の技」として蓄積している。いわば企業秘密なのである。