若い頃には作る品物にも勢いがある。鍛冶職人たちの場合、最も脂が乗るのは40歳から50歳代であると言われる。しかし、石塚は、逆に年を取ると、「生活に追われていた頃には目につかなかった細部にまで目が届くようになる」と言う。品物が洗練されていくのだ。

「今でも修理で昔作った製品が戻ってくることがあります。その時は最高の品物を作ったと思っていたはずなんですけど、後になると、また印象が変わるんですね」

 そう笑う石塚の作るものは羅紗切り鋏一種類のみ。包丁や小刀といった他の刃物道具を手がけ多角経営に乗り出す鍛冶も多い中で、鋏鍛冶であり続けてきた。息子たちに仕事を継ぐことをことさらに望まなかったのは、時代の流れと同時に、そうやって守ってきた鋏作りへの思いもあった。

「総火造りの鋏ができてはじめて一人前、という思いがあるんです。ところがものになるには最低でも10年はかかる。しかも仕事を始めるのは早ければ早いほどいい。親父なんか今の小学校4年生から仕事場に入っているんです。中学を卒業して入った私でも、もう3年早ければもっと火造り上手に出来たかもしれない、なんて冗談めいてよく言われたものです」

 仕事を覚えるには可能な限り若い時から始める方がいい、というのは職人のみならず体を使う職業の鉄則と言えるだろう。ところが石塚は、自分の意思とは言え、家の都合を考えて進学をあきらめて仕事に入った、という思いもあった。だから、ふたりの子供に高校までは行かせようと考えていたのだ。そうなると、卒業した時点から仕事場に入っても、30歳までに仕事を習得できるかどうかもあやしくなる。石塚自身も、子供を高校に、と考えた時点で、四代目長太郎の誕生をどこかであきらめていたのだろう。結局、二人の子供たちは鋏鍛冶を継ぐことはなく、一般企業に勤めることになった。彼らの意思を確認した時点で、石塚は、当代限りで仕事を終えることを決めた。

「弟子3人は勤め上げましたし、あとは、総火造りはもとより、複合材を使ったものも、とにかく自分で最初から最後まで手をかけた品物を造っていこうと思ったんです」

 一人になってから創業100年を迎えた。先代たちに義理は果たせました、と笑う。

「羅紗切り鋏の良さは、本当のプロじゃないとわからないと思うんです」

 そう三代目は言う。実際、長太郎の鋏はテーラーなどのプロフェッショナルを中心に愛用されている。価格は通常の羅紗切り鋏の数倍と高いが、値段に変えられない使い心地がある、と愛用者は口を揃える。

 日本のみならず本場、ヨーロッパでも長太郎の鋏は好評だ。

 近所に洋服関係の組合長を務める知り合いがいて、ヨーロッパに出張する際の土産にということで、長太郎の鋏を1箱分持っていってくれたことがあったのだという。この土産は、絶賛で迎えられた。帰国の際には、現地での修行を終え一緒に帰国する予定になっていた日本人職人が、持っていた長太郎鋏を置いて帰るように頼まれた。一尺という長い寸法の鋏は、職人にとっては身上とも言うべき大切な道具。しかし、それを熱望したのは、世話になった親方だった。師弟とは言え同じ職人。弟子にとって手放せない道具であることを承知で、あえて頼んできたのだ。言を左右に逃げようとしても覚悟を決めた親方からは逃げ切れない。

「一生ものですけど、恩義もあるからということで、泣く泣く置いて来たそうです」