友湖の工房で制作した茶杓入れの袋。
同じく友湖の工房で制作した平鉢の袋。
同じく友湖の工房で制作した数奇屋袋。茶の席で必要な、服紗と懐紙(かいし)入れとして使う。
同じく友湖の工房で制作した釜敷き。これは組み紐の技を発揮している。

 半四郎は2009年の3月から6月に、国立民族学博物館で催される特別展「千家十職×みんぱく 茶の湯とものづくりと世界のわざ」で、当代・樂吉左衞門とコラボレートする。樂は同じ千家十職に連なる「御茶碗師」で、きら星が居並ぶ現代の陶芸家の中でも、圧倒的な人気と知名度を誇る。その樂の手による茶入に仕服を作るのだ。通常の茶入の常識をくつがえす前衛的な作品に合わせる仕服の裂は、友湖の工房で扱っている名物裂ではなく、アジアの布。着想といい、技術といい、樂の焼く茶入が持つ強烈な個性に、変わったアプローチで、どのように挑戦していけるか、思案をめぐらせている。このように千家十職の世界も世代による更新が着々と進んでいるのである。継承とは字義通り「後を継ぐ」だけでなく、時代に必要な更新を繰り返した後に、初めて実現できるものなのだ。

 それでもなお仕服とは「沿うたもの」という、古よりの原則の上に袋師は存在する。

「茶入という相手があって仕服があります。その茶入にしても、茶の湯を構成する道具の取り合わせのひとつ。しかも茶の席では道具だけが重要なのではありません。人が集まり、茶を立てて、お話をする。その話のことがらひとつだって、大切な要素なのです。我々は、そういうことを子どもの時分から、それこそ息をするように、当たり前にとらえてきた。右や、左や、とはっきりした指示ではなく、はなはだボンヤリしたものですが、そういうことなのかな、と思います」

 こうして今回、完成した仕服は、底に印を付けた後、箱に収めて持ち主の許に渡る。黒の印肉に「友」の字を袋の内底に刻印する慣わしは先代から始めた。ただしそれは作家としての自己主張というのではない。修理の際にどの代の作か、という責任の証になるのだ。

箱の側面に署名を入れる。

「たとえば後の代が僕の作を見たときに『あ、これは…』と、失望する。そんな場面を想像するのは、すごくイヤですわね。そういう意味で、大変緊張することなんです」

 このように、袋師とは世紀をまたいで仕事への責任をつなぐ意識に支えられている。その意識の中心に常に存在するのが家元となるわけだが、その関係も決して明文化できるような、わかりやすいものではない。家元の出入りというと、世間では、創作力も技術も経済も全部含めて、家元に召し抱えられるイメージを抱くが、話を聞けば聞くほど、実際はそうでないことがわかってくる。

「お家元と職家は、お寺の本山と塔頭(たっちゅう)のような関係に似ております。私らはお家元の許にはせ参じますが、お家元が何をしなさい、これをしなさい、と強制してくることは一切ありません」

 たとえば土田家では毎年、正月の初釜用の服紗をオリジナルで制作し、家元に納めている。家元から注文を受けて作るわけだが、最初から色、柄、素材が事細かに決められているわけではない。それは、家元から「正月用の服紗」という「お題」を投げかけられたとき、それを友湖がどう返すか、そして家元がそれにどう反応するか、というやり取りなのだ。

「何かしたら、私らはこんなもんもできます、ということをお家元に見ていただく機会と申しましょうか。それを何十年も続けた上に『頼むで』『わかりました』で会話が成り立つ関係が築けるわけです」