友湖の妻の美江。一家を支えるとともに、普段は主に服紗の制作にも携わる。
染色を勉強した、半四郎の妻・知美も土田家にとって重要な「戦力」。オリジナルの図案起こしなどでも活躍中だ。

 当代は今の半四郎と同じ位置で、先代の仕事を見ながら、自分の仕事を覚えていった。向かい合わせの机なので、先代の作業を逆から見ることになるが、技術の細部をいちいち教わるというより、何かの折に「これはこうやって、あれはああやって」と、何気なく聞いたことが、後になって大きかったという。

 その意味で現在の土田家も、当代友湖を含めて家族に恵まれている。妻の美江は山形の商家の出身。若いころから茶に親しみ、京都で池坊短大を卒業した後、表千家の同友会で事務の仕事を務め、茶の世界を裏方からも知る経験を持った。2人の間には長男、次男が生まれた。長男は「晃」と名付けられたが、千家への出仕をひとつの節目に、土田家の継承者として周囲に認められた時点で、代々受け継がれてきた呼び名「半四郎」を名乗るようになった。長男・半四郎の許には、大阪府出身で、染色の勉強をした知美が嫁いだ。次男の健は現在、山形に工房を構え、陶芸の道に進んでいる。このように一家がものを作り出すことに愛情と情熱を持っているのだ。

友湖の工房がプロデュースしたオリジナルの帯を包装する半四郎。和紙で封をしたり、印を押したり、といった細部も全部、工房内の仕事。ひとつひとつ、丁寧にこなしていく。

 次男の健は、半四郎の家に子どもが生まれたタイミングで、陶芸への取り組みを本格化させた。山形に移り住むとき、健が何気なくいったひと言に、美江はびっくりしたという。

「『うちは普通の家やない。僕はスペアだと思っていた。でも兄貴に子どもが生まれて、これでひと安心やな』と、下の息子がいいまして。スペアだなんて、夫も私もいっぺんもいったことはありません。でも、知らず知らずのうちに、そういうように感じていたんだなあ、と」

土田友湖の手。生み出す作品と同じく、繊細さが宿る。
完成した仕服の内底に印を押す。責任の所在の表明。

 弟子を取らず、暖簾わけをしないのが土田家なら、家業を継ぐのも子ひとりに限る。それも代々、崩すことのできないやり方なのである。そんな家をめぐるエピソードが、おっとりとした美江の語りから漏れてくる。

 当代友湖と、その仕事を継ぐ半四郎を、美江と知美が支える仕事場は、男性の厳しさと女性のやさしさの加減が絶妙だ。男性2人が黙々と作業に取り組む傍らで、女性2人が世間話をしながら手を動かす。終始なごやかな会話ながら、手先の作業は素早い。2人の手許からは、美しい服紗(ふくさ)が次々と生まれる。

 午後になると、晃の子どもたちが学校から帰ってくる。仕事場の空いている机に座って本を読んだり、テレビを見たり。こうして、子どもたちもごく自然に袋師の仕事を覚えていくのだろう。

 先代の話と同じく、工房で友湖が半四郎にあれこれという場面は確かにない。日中、半四郎は仕服作りというよりは、服紗の箱詰めなど、家の商いに必要な作業に携わることが多い。とはいえ「友湖印」の服紗を箱に詰める仕事は、これでもか、というぐらい手厚いものだ。服紗は白、うす茶色の和紙で2重に包み、箱に入れた後にのしをかける。紙ひとつ折るにも、いちいちに物差しを当てながら、ぴっしりと折り目を付けていく。のしの表書きも、ひとつひとつが墨と筆による手書きだ。包装ひとつでも、いかに細部をごまかさないか、というところはすでに修業の一環なのであろう。