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仕服の内側の底に押された「友」の印。

 採寸、型紙おこし、裁断、縫製と、仕服の仕上がりまでに、袋師の技術が問われるプロセスはいくつもある。中で最も顕著なのが「縫い」の部分だろう。

 土田家では先代から誰がした仕事かわかるように、仕服の内側の底に「友」の印を押すようになったが、以前はそのような習慣がなかった。だからであろう、茶道具の世界では、友湖作といわれる仕服が定かな由来なく登場することがある。それについて、当代友湖は多くを語らない。

「由緒あるお茶入れと古い仕服を拝見しても、それだけではどの代の作なのか、なかなかわかることではありません。それでも、直しを依頼されて袋を解いてみれば、私らの家の仕事かどうかは、たいていわかります。いい悪いというより、よその家で作られた袋は、私らが型取りしたものとは、寸法がよう合わんのです」

8月1日、八朔の日に千家に出仕に行くときのいでたち。毎月1日の出仕の中でも、正月1日と八朔の2回は、とりわけ大事にされている機会だ。
土田家の通用口にかけられている暖簾。「御茶入袋師」とあるのは、茶道具の中でもとりわけ重要な茶入の仕服を作る、という袋師第一の役目を表している。

 よその家で作られた仕服は寸法が合わない――その何気ない言葉にこそ、土田家の秘密がある。第1回で記したとおり、友湖の仕服はお茶の稽古で必ず名が出るほど、茶道に親しむ者には初級、上級を問わず馴染みの深い「ブランド」だ。一方で、茶道をたしなむ特に女性たちの間では、仕服づくりが趣味のひとつにもなっており、町に「仕服教室」も少なくない。なのに、友湖の仕服を実際に見たことのある者、触れたことのある者は、実に数少ない。少ないというより、いない、といった方がいいくらいだ。「友湖の仕服」と「一般品」との間には、大きな隔絶があるのである。

 なぜか。それは土田家が職家(しょっか)としての技術を一子相伝とし、代々、家の内側で守り続けているからだ。土田家は弟子を取らない。また、他家に修業に出ることもしない。

 昨今の世の中なら、ブランド力のあるところは、弟子を取り、暖簾分けの形でそのブランドを分流させていく「フランチャイズ方式」が登場してもおかしくない。人々あこがれの「友湖印」は、数量を増やして流通させることで、職家の経済に貢献もするだろう。あるいは、よそに何らかの技術があるとしたら、それを取り込むことで、ブランド力はもっと補強されるかもしれない。