みずから切り出した細い和紙を茶入の胴に巻いて採寸する。印は筆に朱の墨をふくませて。
茶入の胴は少し太めの和紙テープで採寸する。
茶入の底にも慎重に印を付ける。

「欲しい裂は次から次へと現れます。でも、その全部はよう買えませんし、消化もしきれません。ただ、これは大切にしたい、という裂は自分も入手して末代に伝えたい。そう思って裂を扱うています」

 「復元裂」は、京都の龍村美術織物が古来の伝統を継ぎながら織り上げているものだ。龍村美術織物は、伝説の初代・龍村平蔵が大正時代に名物裂の復元に取り組み、西陣の伝統と技術を芸術の域にまで高めた織り元として名高い。龍村平蔵は、名物裂の技法と染料を、当時のまま忠実に再現した「復元裂」と、名物裂の文様などを今の技術に写した「写し」に取り組んだ。そんな裂も工房の棚には数多く、収められている。

 そのあまりに美しい織物を見ていると、仕服という複雑な縫い物だけでなく、仕立てがシンプルな服紗(ふくさ)にして、もっと一般に広めてもいいのではないのだろうか、と素朴な疑問も浮かんでくる。しかし、それこそは素人考え。服紗に仕立てると使用する裂の表面積が大きくなり、単価があまりにも高くついてしまう。土田家が扱う裂は、古美術的な価値が付いた名物裂に限らず、現代の裂でも数センチ四方で数万円単位という価格を持つことが多く、顧客にとっても、職家(しょっか)にとっても、とても採算が合わないのだという。

手製のコンパスで、底に使う「中底」をつくる。

 土田家では龍村美術織物のほかにも、西陣の複数の織り元から裂を仕入れている。既存の品だけでなく、友湖がデザインするオリジナルや、両者共同でプロデュースする名物裂もある。裂に対する袋師の思いは尽きない。同時に、そのような裂を生産する底力が今も京都にはある、ということに改めて驚く。

 そんな裂を使う仕服とは、いわば茶入のオートクチュールだ。しかし仕服は単体で何かを主張する品であってはいけない。袋師とは強い自己主張とは馴染まない。

「いかに茶入に『沿うた』ものを実現するか。それが私らの仕事なのです」

 と、友湖はいう。

 高さ、径、造形と、さまざまな形を与えられた茶入という主人公を引き立て、かつ、仕服として茶席にふさわしい格を持つこと。そんな「沿うた」感覚こそが、土田家が代々継承する技術の核心にはある。