こうした道具を携えて掻き子が漆の畑に入るのは、茨城県奥久慈地方では6月上旬から。まず地上20cmのところに、掻き鎌で小さな傷を付ける。そこから上へ約40cmごとに木の両面に互い違いに傷を付ける。これを「目立て」という。漆の木は自身が傷付けられたと知ると、傷口を塞ぐために樹液を傷の周辺に集めるのである。それが集まった4日目ころ次の漆掻きを始める。

 目立ての上に、1cm弱ほどの間隔をあけて、目立てよりも少し長く溝を切る。この溝を「辺」と呼ぶ。まず樹皮の状態をみて、厚すぎるようであれば皮剥鎌でそれを落とす。次に掻き鎌のU字形の刃で「辺」と呼ぶ溝を切る。辺掻きが進んだ6月下旬頃からは辺を切った後、同じ掻き鎌を返して、メザシで溝の底に細い傷を付ける。すると白っぽく透明感のある新鮮な漆の樹液が溢れ出てくる。それを「掻き箆」で掬い取って集め、「漆桶」の中に集める。作業はこれの繰り返し。低い場所では腰をかがめ、高い所は背伸びするという重労働である。

 1度掻くと、漆が傷口に集まるまで3日ほど間をあける。4日目ころにまたその上を掻く。ただし、樹液を採りすぎると木が弱る。葉の様子などから木の健康状態を察し、状況によってはこの間隔(養生期間)を延ばすこともある。


 およそ6~7辺目までを初辺といい、そこから採れる漆が先述の初辺漆である。その後は、時期的に気温が高くなり、「盛辺漆」となる。その後が「遅辺漆」である。厳密には辺の数だけではなく、採取時期と漆の状態で名称は変わる。

 こうした辺掻きで採集できる漆は、樹齢10年ほどの木1本から180cc程度。漆椀を下地から塗るとして6~7客分にしかならない。だからこそ「漆の1滴は血の1滴」と言うくらい職人は漆を大切にし、あらゆる工程で少しも無駄にしないよう注意を払う。

 貴重なのは漆だけではない。漆の畑が多くみられる奥久慈地域でも、掻き子の後継者問題が深刻になっているのだ。農家と兼業しながら夏の盛りに苦しい姿勢で重労働をこなさなければならないこの職を志望する者はごく少ない。結果として高齢化が進み、20年前には30人ほどいた掻き子も現在では4~5人になったという。

 この対策として本間は、仲間の協力を得て12年前に「壱木呂の会」なる組織を立ち上げた。漆工芸家などの会員に年間1kgの日本産漆を供給しようという趣旨で、「壱」は1kg、「木」は漆の木、「呂」は油や余分なものが混ざっていない純粋な漆を表す。