TRONを支持したのはエレクトロニクス業界だけではない。1990年ごろにTRONが有名になると,コンピュータの専門家ではない人々にも「来るべき電脳社会」への期待が広がった。それ自体は良かったのだろうが,コンピュータに関心のない企業の中にはTRONの名前を利用して自分たちの事業のイメージアップを図ろうとするところも現れた。


図2 1993年の完成を予定していたTRON電脳ビル 本誌1990年5月14日号から。 (画像のクリックで拡大)

図3 2000年ごろの完成を予定していた千葉TRON電脳都市 本誌1990年5月14日号から。 (画像のクリックで拡大)

 例えばインテリジェント・ビルがTRON電脳ビル(図2)に,ソフトウエア・パークがTRON電脳都市(図3)へと計画を変えた。坂村氏はこれらを「応用プロジェクト」と位置付け,実験の場として利用しようと考えたが,建設会社や不動産開発会社の思惑は違った。こうした思惑の違いやバブルの崩壊などが重なって,いずれも頓挫した。

グローバル・スタンダードに挑む

 TRONは良くも悪くも坂村氏のプロジェクトである。坂村氏がすべてに深く関与していたわけではないにしろ,旗振り役としての坂村氏を抜きにして語ることはできない。坂村氏のカリスマ性が多くの人々,企業,役所を引き付けたが,それに反発する人々も少なからずいた。

 確かにTRONチップやBTRONは普及しなかった。応用プロジェクトは“絵に描いた餅”に終わった。だからといって坂村氏が成し遂げた仕事の偉大さが揺らぐわけではない。現在の活動の舞台であるT-EngineフォーラムやユビキタスIDセンターなどを通じて,グローバル・スタンダードとなる技術が生まれることを期待している。

古沢 美行