永樂家の職人としての修行では、たとえば配合が終わった後の土の揉み上げを一人前にできるようになるだけでもかなりの時間がかかるという。土の揉み上げは、中の空気を抜いて均質にするための作業。ある職人は、1年半かけてようやく揉み方を習得したという。ただ個人差はあって、そうかと思えば1カ月で覚えてしまう職人もいるそうだ。

 昔も今も、職人たちには分担があり、轆轤(ろくろ)を回す人と絵を描く人は別。木材を燃料に使う登り窯が工房にあった時代は窯を炊く専門の職人もいた。こうした永樂家の職人は弟子ではない。あくまで永樂家の仕事を専門とする一流の職人になることがゴールなのである。だから、修行は独立に備えて技能を習得するのではなく、永樂家の仕事を確実に身に付けることを目的とする。それ以前にどんな仕事をしていても、この家に来たら一度それまでのスタイルを捨て、この家のスタイルを習得しなければならない。永樂家が江戸時代から千家との絆を大切にし、千家流の茶の湯、そしてそれに適った道具を未来永劫残していくことを使命とする家だからだ。

 永樂家の職人たちが習得しなければならないのは、高度な轆轤の技術や手の込んだ絵付けの技だけではない。もっと大切なことは、その手から繰り出す技によって永樂様式の気品を具現化する表現者となることだ。そのレベルに達するには何十年という時間がかかるといい、職人たちの多くは50年、60年とこの家で仕事を続けることになる。ここで亡くなる人もいれば、戦時中は若い職人たちがこの家から出征していったという。


 当代は工房の3階を書斎兼仕事場にして、主に絵付け作業に専念することが多い。しかし、1階で自ら轆轤を回して職人たちに手本を示すこともしばしばある。棟梁である当主は、自らが職人であると同時にディレクターでもあるのだ。

 「職人が一からウチらしさみたいなものを覚えていってもらうのに、ただ『これと同じに作って』と言ってもできない。ひとりひとりクセが違うし、同じ人でも日によって違うこともあるからね。それを私たちが見て、『ここはもっとこうして』と長い時間をかけて直していく。ほかの人が見たら分からんやろうけど、私が見たら、父の時代のものか、私の時代のものかはちゃんと分かります。どの職人が作ったものかも分かりますね。」

 つまり、まず当主に求められるのは、ものを見抜く力ということになる。

 「私がこうしてやっているのは、言ってみれば、息子のためですかね。次の代のために職人さんを養成しておかなければいけない。私が死んだ後でも、私が教えた職人さんが元気なら仕事はちゃんとできますから。ウチの仕事は千家との関係があるから、私個人でとてもできるものではない。誰かを加えて二人や三人、というのでも無理。千家流のお茶碗はこういうものであるということを日本中に広めるためには、やはり10人近い職人を抱えた工房が必要なのです」