当代の十七代永樂善五郎氏。同家の茶室にて。

 そう語るのは現在の当主・十七代善五郎である。祇園にある住まいの裏に設けた工房で、室町の昔から連綿と続く家職を守り、優れた技と永樂家としての道具作りの心を継承しつつ、新しい時代を担う。7人の職人たち、そして長男の陽一が、十七代に寄り添いながら家を支える。

 茶陶の中でも永樂家が得意とするものに色絵という技法がある。色を使った絵具で上絵付けを施した陶磁器のことで、おそらく現代の日本人にはもっとも馴染みのある陶磁器の一種であろう。幕末には、当時珍重されていた呉須赤絵と呼ばれる色絵陶磁器など、中国製の写し物が、京都の名工たちの手によって多く作られている。その一方で、日本風の色絵も、ここ京都の地で命脈を保っていた。中国製のような磁器ではなく陶器に色絵を施した焼物で、江戸初期の野々村仁清、尾形乾山らの作風に倣ったいわゆる仁清写、乾山写の陶器は、京焼の代表的な技法の一つとなっている。

 永樂家でも、仁清写、乾山写は代表的な技法となっている。永樂家の基礎を作った十一代の保全は、仁清写などの和風な陶磁器を手がけつつも唐物写の名手として名を挙げたが、その後を継いだ十二代の和全は日本風の陶磁器に比重を置き、色絵でも侘びを加味した独自の作風を確立した。それは、仁清や乾山の末流に立ちながらもすでにそこから一歩進み、「永樂様式」とでも呼ぶべきものだろう。その後、時代の要請によって色絵は豪華さや華やかさを加えつつ、永樂家の「お家芸」として作り続けられるのである。

十二代永樂和全作「乾山写老松ノ絵黒茶碗」。永樂家のお家芸の一つである「乾山写」の作品である。

 その製作工程は、

(1) 土の配合
(2) 土の揉み上げ
(3) 水挽き(轆轤による成形)
(4) 乾燥
(5) 削り
(6) 素焼き
(7) 釉掛け
(8) 本焼き
(9) 下描き
(10) 上絵付け
(11) 焼付け

となる。金彩を施す場合は上絵具と一緒に金泥を置き、焼付ける。

 陶器の制作は、どんなものでもまず土の配合と揉み上げから始まるのだが、永樂家には30年ほど前まで、「裏師」といって、1日中ひたすら土を捏ねるといった下仕事を専門に担う人がいたそうだ。職人というよりもあくまで裏方として働き、作品づくりを陰で支える存在だった。土だけでなく、絵具を手で1日中摺ったり、磁器の仕上げの磨きをしたり、もろもろの雑用をしたり。「でも、おもろい仕事でもないし、なり手もおらんようになって」その種の人たちは姿を消し、現在はそうした作業も職人たちが行っている。