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信楽焼花入。室町時代の信楽焼小壷を花入に見立てている。その姿が、人が蹲っているように見えることから、同形の花入を古来「うずくまる花入」と呼ぶ。

 千利休によって茶道が大成された桃山時代は、日本の陶器が大きな発展を遂げた時代でもあった。技術の進歩に加え、多くの様式が生み出され多大な影響を後世に与えることになる。桃山時代こそは日本の陶芸史においては特筆すべき躍進期であり、多くの名品を生み出したという点で、一つの頂点であるともいえる。

 ただこの進歩は、侘び茶という新たな美意識の誕生だけによってもたらされたわけではない。中国や朝鮮半島、東南アジア、さらには南蛮と呼ばれた欧州諸国にまで及ぶ世界各地の文物や知識、技術が貿易船などに乗って日本にもたらされ、それが固有の日本文化に刺激を与え、あの大胆で華麗な桃山文化という大輪の花を咲かせたのだろう。

高取茶入。遠州七窯の一つに数えられる高取で焼かれたもの。シャープで洗練された器形、耳付、胴紐(胴の半ばに彫られたヘラ線)、胴の下部に入れられたヘラ目など、小堀遠州の好みがふんだんに盛り込まれている。

 それを証明するように、戦国の動乱期を経て平和で安定した江戸時代に入り海外との交渉が廃れると、美意識も変化してくる。まず、江戸初期になると、茶の美意識もインパクトの強い桃山風から、繊細で研ぎ澄まされた美を好む傾向が強くなっていく。その結果、自然さや豪快さは影を潜め、「計算によって美を表現する」という作為が作品の全面に現れてくるようになる。江戸初期に活躍した大名茶人、小堀遠州が提唱した「きれい寂び」などはその典型だろう。

 この、きれい寂びという美意識も陶磁器に多くの影響を与えた。世に「遠州七窯」と呼ばれる窯がある。小堀遠州が指導し、その結果として卓越した茶陶の名品を多く生み出した窯元である。一般には上野(あがの)、赤膚(あかはだ)、朝日(あさひ)、古曽部(こそべ)、志戸呂(しどろ)、膳所(ぜぜ)、高取(たかとり)の諸窯がそれとされるが、それらは中断や再興を経ながらも操業を続け、小堀遠州の美意識を今に伝える。