2011年10月に発生したタイ全土の洪水では、日本企業も約450社が大きな被害を受けた。現地で被災企業の支援に当たったのがジェトロ(日本貿易振興機構)バンコク事務所。当時、同事務所調査担当部次長だった、国士舘大学政経学部准教授の助川成也氏に話を聞いた。(日経ものづくり)

 東南アジアの中でも、タイは電気と電子、自動車を中心に製造業の拠点が集中している。災害直後の2012年時点で、タイの投資受け入れを国別で見ると日本が第1位で、全体の6割を占めていた。タイ政府にとっては、最大の被災者はもちろん自国民であるとしても、雇用を生み経済成長の原動力の1つだった日本企業が被災をしたのは非常に重い意味合いがあった。

バンコク北方で7工業団地が被災

 洪水の規模は2011年の11月末の時点で4万5000km2、九州と沖縄を完全に含む面積に当たる。日本企業が多数入居するバンコク北方の7つの工業団地が水没した(図1、2)。上流である北から次々と工業団地が陥落していく状況だったにもかかわらず、当時陸軍司令官だったプラユット氏(現首相、2019年4月現在)が「工業団地は軍が絶対に守る、水は一切入れない」と言明したのを信じたこともあり、多くの日本企業が設備を外に逃がさず、あるいは在庫をそのままにして、被害を大きくしてしまった。

図1 浸水した7つの工業団地
全804社のうち日系企業が449社を占めた。10月4日から10月20日にかけて浸水し、排水完了までに早くて1カ月を要した。7工業団地の他、1カ所(バンチャン)で一部浸水があった。(出所:助川成也)
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図2 2011年タイ洪水の様子
ナワナコン工業団地のうち、堤防が決壊した場所に近い工場。左が浸水当日の2011年10月17日。ひざ下の水深で、工場の門柱(看板)は全部見えている。右が同11月2日の様子で、水深は1.5〜1.8mに達している。樹木の右に見える構造物は、ほとんど水没した門柱。(写真:助川成也)

 製造業に関していえば、日本企業の進出は他の国に比べても圧倒的に多く、被災した企業も日系企業が最も多かった。7つの工業団地に約800社入居しているうちの約450社は日系企業で、それが全部水に浸かってしまった。水深は1.5〜2mと1階がほぼ水没する水量。重い機材や設備などは1階にあったため被災し、早いところで1カ月間、遅いところでは2カ月間、水に浸かったままになった。

 これらの工業団地で浸水を免れた工場はない。土のうを積んでも隙間から少しずつ水が流れ込むのに加え、水圧がかかって水が下水道経由で入ってくる。ガソリンエンジンのポンプで排水を試みた企業もあったが、結局はガソリンを使い切ってしまった。

 水没した工場から資材を仕入れていた企業、納入先が水没した企業も操業が止まった。当時、日系の製造業はほとんどがバンコクから半径150km、2時間圏内に集積していた。2時間以内で何でも調達できる体制にしていたためだ。2014年にバンコクの日本人商工会議所が会員企業に調査した結果では、洪水によって事業に影響を受けた企業は全体の85%に及んだが、直接被害を受けたのは25%程度で、残りの60%は間接的な影響だった。

 被害額は、全体で1兆円ぐらいはあったのではないか。日系企業はほぼ日系の保険会社の保険に入っていたため、3大保険グループの決算書を見てタイでの被災分をまとめると、2011年度と2012年度で約5000億円。保険会社も再保険に入っているので、その2倍程度が実際の被害額と考えられる。支払い額が東日本大震災よりも大きかったとみられる保険会社もある。

日本企業を代表してタイに申し入れ

 工業団地の被災を知った2011年10月はじめにジェトロ・バンコク事務所に相談窓口を開設し、要望を集めて約10日後にタイ政府への申し入れを実行した(図3)。当時のインラック首相、各省の大臣や副大臣、閣僚が入る委員会などで日本企業の現状を話し、対策をお願いした*1

図3 ジェトロがタイ当局に要請した主な支援措置
浸水拡大中の2011年10月19日にタイ政府、同25日にタイ投資委員会(BOI)に提出。一部を除き、多くが認められた。(助川成也氏の資料を基に日経ものづくりが作成)
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*1 他の国は複数企業が集まって、団体でタイ政府に要望を出した例はないという。というより、他の国も日本と立場を同じくしていたため、日本企業に限らず外国の企業を代表した形だった。「日系企業以外も助かったと思う」(助川氏)という。

 タイ政府には、工業団地の排水や機械設備などの移動で手伝ってもらった。従業員を解雇せずに雇用を継続する企業には補助金を出してもらった*2。タイ投資委員会(BOI:The Board of Investment of Thailand)には、進出企業への恩典についての条件緩和を要望。例えば輸入関税なしで取得した機械設備や原材料の工場からの持ち出しを事前許可なしで可能にした。

*2 正確な情報の迅速な提供も依頼。例えば、タイの北方には黒部ダムの約50倍もある大きなダムがあり、そこが放流するかどうかは極めて重要な情報だった。しかし、水力発電に使う電力会社、農業用水の当局などさまざまな機関が関係し、それぞれが連携せずに情報を公表していた。そこで、正確な情報をいち早く、できたら英語で公表してほしいと要望。途中からタイ語だけになってしまったものの、当初は英語での情報提供が実現した。

 日本人技術者や担当者が復旧のためにタイに入国しやすいよう、ビザや労働許可証の即時発給、または免除をお願いした。ダメもとで言ってみたところ、特別にコーテシー(儀礼)ビザによる90日以内の滞在と労働許可証なしでの業務への従事を可能にできた。タイ政府の立場では、日本企業に逃げられたり、新規投資がなくなったりしては困るため、できるだけ手厚く特別措置を講じたのだろう。

 洪水から半年経過した後、あらためて日系企業の要望を取りまとめてタイ政府に提出した。例えば被災した機械の代替品を輸入する際、関税免除の恩典を受けるには手続きに時間がかかるため、関税を支払ってしまった例が多かった。そこで、後からの手続きで関税免除を適用してほしいと要望。あるいは、コーテシービザの発給をもう少し続けてほしいといったものだ。

 ところが、被災直後とは手のひらを返したような対応。タイから逃げ出さないのが明らかな企業に対して、もう特別な施策は必要ないという考えだろう。言うべきことは肝心なときに言うべき。タイミングを逸してしまうと全く対応してくれなくなる。

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