関西国際空港と対岸の大阪府泉佐野市を結ぶ連絡橋が2019年4月8日、上下6車線で通行可能になった。18年9月の台風21号でタンカーが衝突し、橋桁が大きく損傷してから7カ月ぶりの完全復旧だ。橋を架設した約30年前の施工計画や図面を生かし、当初は大型連休前の19年4月末を予定していた復旧時期の前倒しに成功した。

 最終列車が連絡橋を通過した2019年2月13日と翌14日の未明、深田サルベージ建設が所有する国内最大級の起重機船「武蔵」が、工場で修復を終えた2径間分の橋桁を1径間ずつ架設した(写真1)。「2月は海象条件が悪い。最大で10日間ほど架設が遅れることを覚悟したが、計画通りに進められた」。復旧工事を手掛けるIHIインフラシステム建設部工事西第2グループの内田裕也課長は胸をなで下ろす(写真2)。

写真1■ 工場での修復を終え、撤去から5カ月ぶりに再架設されるA1-P1間の鋼箱桁。長さ90mのうち、損傷が少なかった手前の55mは再利用した。2019年2月13日午前0時半撮影(写真:大村 拓也)
[画像のクリックで拡大表示]
写真2■ 再架設当日、復旧現場に立つ西日本高速道路会社の佐溝純一橋梁担当部長(左)とIHIインフラシステムの内田裕也課長。海上には台船から鋼箱桁を吊り上げた起重機船「武蔵」が待機する。関空にとって連絡橋は唯一の陸上アクセスルートだ(写真:大村 拓也)
[画像のクリックで拡大表示]

 橋桁を架設した後は、計8基ある支承の固定や伸縮装置の取り付け、起重機船で吊るために橋桁の鋼床版に取り付けていた吊りピースの切断、舗装工事などを実施。架け直した橋桁を2月27日から部分的に通行できるようにした。さらにその後、連絡橋上にある中央分離帯の復旧や空港島内に設けていた迂回ルートの撤去作業などを終え、4月8日の完全復旧にこぎ着けた。

橋脚のコンクリート充填が奏功

 全長90m、2591tのタンカーが、関空連絡橋の空港方面に向かう道路の下り線の橋桁に衝突したのは18年9月4日午後1時半ごろ。台風21号の暴風で走錨(そうびょう)し、制御不能に陥った。

 損傷したのは、空港島内に立つA1橋台から海上のP2橋脚までの2径間、長さ計188mの鋼箱桁だ。空港島が地盤沈下しても滑らかに接続できるように、単純桁となっていた。

 タンカーのブリッジがめり込んだ下り線のP1-P2桁は、P2橋脚上で橋軸直角方向に約4m移動。さらに、隣接する鉄道橋の桁を0.5mほど横に押し出した(写真3図12)。

関空連絡橋に衝突したタンカー(写真:毎日新聞社/アフロ)
[画像のクリックで拡大表示]
事故翌日のタンカー撤去後に撮影(写真:西日本高速道路会社)
[画像のクリックで拡大表示]
写真3■ タンカーは左奥のP1橋脚にも衝突したが、構造的な損傷は免れた
図1■ 橋桁が最大で4mほど動く
関空連絡橋の被災状況を示す平面図(資料:西日本高速道路会社の資料を基に日経コンストラクションが作成)
[画像のクリックで拡大表示]
図2■ 道路橋の下り線が被災
P1橋脚の断面図。道路橋と鉄道橋が橋脚を共有する(資料:西日本高速道路会社の資料を基に日経コンストラクションが作成)
[画像のクリックで拡大表示]

 橋の道路部分を管理する西日本高速道路会社が損傷した桁の撤去を判断したのは、事故翌日の9月5日と早かった。「橋桁にできた穴や変形の状況を海上から確認し、現地での修復は困難だと判断した。正確な損傷状況を確認するためにも、桁を工場へ運び込むことが先決だった」。同社関西支社の佐溝純一橋梁担当部長はこう説明する。

 不幸中の幸いだったのは、門形鋼製橋脚が深刻な被害を免れたことだ。タンカーはP1橋脚にも衝突したものの、橋脚は内部にコンクリートを充填した合成構造となっており、表面の傷だけで済んだ。その結果、9月5日午前0時40分に道路の上り線を片側交互通行にして、緊急車両の通行を再開できた。

 一方、鉄道の復旧には、ずれた橋桁を元の位置に戻すことが不可避だ。そのためにも、道路の下り線の桁を早期に撤去する必要があった。

この先は有料会員の登録が必要です。「日経コンストラクション」定期購読者もログインしてお読みいただけます。今なら有料会員(月額プラン)が2020年1月末まで無料!

日経 xTECHには有料記事(有料会員向けまたは定期購読者向け)、無料記事(登録会員向け)、フリー記事(誰でも閲覧可能)があります。有料記事でも、登録会員向け配信期間は登録会員への登録が必要な場合があります。有料会員と登録会員に関するFAQはこちら