1995年(平成7年)1月17日に起こった阪神大震災。わずか10秒間の揺れが土木の耐震設計を抜本的に変えた。地震発生から2日後、JR東日本の支援チームの団長として被災地に赴いた石橋忠良氏は、山陽新幹線などの復旧方法を即断。2カ月余りで運行再開にこぎ着けた。

INTERVIEW≫ JR東日本コンサルタンツ 技術統括 石橋 忠良氏

(写真:日経コンストラクション)

いしばし・ただよし
1948年生まれ。70年日本国有鉄道入社。95年にJR東日本の構造技術センター所長、2008年に執行役員に就任。国鉄とJR東日本を通して、多くの災害復旧に関与。鉄道の設計基準の作成にも携わってきた

2カ月で早期復旧、「柱だけ直せばいい」

 山陽新幹線やJR東海道本線の高架橋が2kmにわたって倒壊するなど大きな被害を受けました。

 地震があったその日、テレビを見てすぐにJR西日本へ電話したのですが、「被害の状況がまだ分からない」と。社長を通して正式な応援要請があったのは翌日でした。15人ほどのメンバーとともに現地に入ったのは、地震発生からの2日後です。

 すぐに山陽新幹線の被害を調べるため、2班に分けて西端の六甲トンネルと東端の新大阪駅からそれぞれ線路沿いを歩き、被害の状況を記録していきました。鉄道は標準設計があるので、図面がなくても外観を見ればおおよその構造が分かります。

 地震でまず壊れるのは、高架橋の柱です。そのように設計してあるし、これまでの破壊実験でも柱から壊れていました。ただ、実際の構造物が実験室と同じように壊れるほど、大きな揺れが襲ったことには驚きました。水平力を受けて柱がせん断破壊したのです。高架橋を設計した当時の基準は現在よりも大きな許容せん断応力を見ていたので、帯鉄筋の量が少なかったのです。

 復旧方法はどのように決めたのでしょうか。

 高架橋の柱に比べて、梁やスラブは地震に対して余裕があります。地震力よりも列車荷重の方がはるかに大きいからです。落下した衝撃で桁端などが損傷していても、梁やスラブは修復すれば再び使える。こう考えながら、調査を進めました。

 大変だと思ったのは、山陽新幹線の高架橋が阪急今津線をまたぐ所です。新幹線のラーメン橋台が倒壊し、プレストレスト・コンクリート(PC)の単純桁が今津線の上に落ちていました(写真1)。

写真1■ 山陽新幹線の高架橋のラーメン橋台が倒壊したことで、8本のPC桁が阪急今津線の上に落ちた。桁はクレーンで吊り上げ、再利用した(写真:三島 叡)
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 驚いたことに、桁の解体作業が既に始まっていたのです。阪急に迷惑を掛けてはいけないと考え、撤去を急いでいたのでしょう。私は慌ててJR西日本の幹部に電話して、作業を止めてもらいました。

 もし、桁を撤去して造り直すと、半年以上はかかります。その間に今津線が運転を再開すると、新しい桁をどこで製作してどう架けるのか。加えて、橋の「補修」ではなく「新設」となると、震災後の新しい耐震基準がまとまるまで待たなければならない可能性も出てきます。他の工区の復旧をいくら急いでも、ここが駄目なら新幹線は走れません。

 その日の夜、ホテルで復旧案を4枚の紙にまとめました(図1)。落ちた梁やスラブはジャッキアップして、PC桁はクレーンで吊り上げて、それぞれサンドルなどに仮置きする。その間に、壊れた柱を直すというものです(写真23)。

図1 ■ 山陽新幹線高架橋などの復旧案
石橋氏が説明用にまとめた4枚のうちの1枚。当初は手書きだったが、後にワープロで打ち直した
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写真2■ 柱がせん断破壊し、レールが宙吊りになった山陽新幹線阪水高架橋。兵庫県西宮市内(写真:日経コンストラクション)
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写真3■ 復旧工事中の阪水高架橋。スラブを仮支えした状態で柱を造り直し、鋼板で巻き立てる (写真:上は三島 叡、下2点は日経コンストラクション)
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 損傷した柱は断面修復した後、鋼板を巻き立てるなどして補強します。曲がった鉄筋は、いったん切断してからバーナーで1000℃にあぶって真っすぐに戻す。そして、フレア溶接や熱間押し抜き圧接で柱の鉄筋に継ぎ直す。鉄筋は降伏しても、引張強度や疲労強度は低下しません。

 混乱する被災地では、集めやすい資機材だけで施工できるかどうかも重要です。高架橋の柱の断面積から推定すると、柱1本当たりが受け持っていたスラブなどの反力は約50t。一般的なジャッキでスラブなどを十分持ち上げられます。

 この復旧案をJR西日本に説明しました。地震から3日目の朝です。

 提案を聞いた人たちの反応はどうでしたか。

 ありがたいことに、みんな私を信用してくれました。異論を唱える人はほとんどいなかったと思います。

 被災した高架橋を設計した当時はコンピューターなどありませんから、設計は単純です。梁の剛性は柱の剛性よりも3倍以上高くしていました。梁を圧倒的に強くすることで、両端固定の柱として簡単に構造計算できるようにするためです。こうした設計の成り立ちまで知っていたからこそ、自信を持って復旧案を提示できたのだと思います。

 一方で、教訓も得ました。復旧方針だけが決まっても、建設会社はすぐに動いてくれなかったのです。発注者から具体的な図面をもらわない限り、勝手に施工できないというのが理由でした。そこでJRの社員でチームを作り、必要な復旧図面を即日で渡せるような体制にしました。

 こうした結果、復旧工事は2カ月ほどで終わり、試験や試運転などを経て在来線は4月1日に、新幹線は4月8日に全面開通しました。

 阪神大震災は、その後の耐震設計を大きく変える契機になりました。

 高度な設計ができるようになった半面、誰でも簡単に設計ができなくなったのではないかという懸念もあります。昔は何かおかしいなと思ったら、工事現場で設計を見直していました。しかし、今は計算書が複雑になり、簡単にさわれません。何かあったときにとっさの判断が下せない恐れがあるのです。

 通常の構造物は、昔ながらの許容応力度法で設計すれば十分なはずです。施工方法や現場の条件に応じて、誰もが設計に立ち戻って考えられる易しいマニュアルが必要なのかもしれません。

 物がどのように壊れるのか、実構造物や実験をよく見ておくことも大切です。どこが過大でどこが過小な設計になっているのか分かります。こうして培った感覚がいざという時に役立つはずです。

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