日経コンピュータは2019年秋に創刊1000号を迎える。1000号に向け、創刊の1981年以降に起こったIT関連の出来事を1年ずつ振り返る。歴史から教訓を改めて学び、未来に生かすのが目的だ。第26回は1986年(昭和61年)。米マイクロソフトが上場を機に完全子会社の日本法人を設立し、国内代理店だったアスキーとの提携関係を解消した。派遣法施行などによりSEの労働環境が大きく変化したのもこの年だ。

1986年の日経コンピュータの誌面。3月3日号でアスキーの西和彦副社長(当時)のインタビューを掲載。米マイクロソフトとの提携解消について聴いた
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 土井たか子氏が日本社会党(現社会民主党)の委員長に就任し、憲政史上初の女性党首に選ばれた1986年。IT業界では米マイクロソフトと日本の大手ソフト会社だったアスキー(当時)の確執が話題を集めた。

 きっかけはマイクロソフトが米ナスダックへの上場を機に日本法人の設立を計画したことだ。当初は国内販売代理店を務めていたアスキーに子会社になるよう持ちかけたが、アスキーは申し出を拒んだ。マイクロソフトはアスキーとの販売代理店契約を解消し、完全子会社の日本法人(現日本マイクロソフト)を設立。5月に営業を始めた。

パソコンブームが追い風に

 アスキーはこの8年前の1978年にマイクロソフトの国内販売代理店となった。CUI(キャラクター・ユーザー・インターフェース)ベースのパソコン用OS「MS-DOS」やプログラミング言語「BASIC」、表計算ソフト「Multiplan」などを販売していた。

 アスキーの創業は1977年で、ソフトウエア開発や雑誌の出版などを手掛けてきた。マイクロソフトとの提携は西和彦副社長(当時)がビル・ゲイツ氏に働きかけて実現したとされる。両社の関係は親密で、西氏はマイクロソフトの副社長も務めた。

 パソコンブームを迎え、MS-DOSがOSにおけるデファクトスタンダードの座を築くとともに、アスキーは成長を遂げた。だが、マイクロソフトからの「子会社になってほしい」との依頼には首を縦に振らなかった。西氏は日経コンピュータの取材に対し、「子会社になれば自由なソフト開発が難しくなる」と理由を説明した。

 アスキーはマイクロソフト製品の売り上げを失っただけでなく、人材の流出を招いた。マイクロソフト日本法人の初代社長に就いたのはアスキーの取締役だった古川亨氏だ。古川氏は1991年まで社長を務め、Windowsの黎明期を支えた。

図 1986年の主な動き
米マイクロソフトが上場
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