平成の31年間で情報伝達のあり方やメディアの状況は一変した。だが正確な情報へのニーズは不変であり、緊急時こそ存在意義が問われる。新興メディアはスピードに挑み、旧来型メディアは責任感を一段と強くする。

 ヤフーは2016年4月14日の熊本地震直後、地図に重ね合わせる形で計8種類の災害情報を矢継ぎ早に伝えた。翌15日には道路の通行実績と避難所情報を、翌々日の16日には鉄道運休情報を掲載した。その後も、給水所や無料充電スポットなどのスポット情報を追加した。

図 熊本地震におけるヤフーの緊急地図情報サービス
地図上で災害情報を提供してきた。熊本地震で提供した「道路通行実績情報」。ホンダの協力を得て実現した(写真提供:ヤフー、ゼンリン)
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 素早く情報を発信できるヤフーの体制は、一朝一夕にできたものではない。大きな転機になったのは2004年10月23日の新潟県中越地震だ。

 当時のYahoo! JAPANのアクセス数は1日10億PVを超えており、地震直後も人々が情報を求めてポータルサイトに殺到した。「メディアとしての認知度が高まる中で、適切な情報を迅速に届けなくては、という社内の意識が高まった」(メディアカンパニーメディア統括本部の竹野雅人編集1部編集2リーダー)。

 2004年12月にはトップページ向けに災害情報表示枠モジュールを開発。震度3以上の地震が発生するとトップページの最上部に自動でテキスト情報を載せられるようにした。さらに事業継続の重要性を踏まえ、東京に加え大阪にニュース編集室を新設した。

 そのオフィス構成にも課題があったと竹野リーダーが知るのは6年後、東日本大震災のときだ。

 2009年に大阪に編集室を設けたが、大阪のニュース編集に関わる作業は2人体制だった。そのため竹野氏は震災直後、大阪へ編集機能の一部を移管するに当たり、要員が不足する大阪に3週間缶詰になった。混乱の中、慣れない環境下で作業せざるを得なかった。

 大阪にオフィスがあったことは幸運だったとはいえ、「災害が起きた際に東京から人が行かなくても、スムーズに別拠点に作業を移せなくては駄目だと痛感した」(竹野リーダー)。

 その教訓を生かし、東日本震災後は大阪の編集室を7人体制に増強した。広域災害にも耐えうるよう、新たに福岡にもニュース編集室を開設。「本当の意味で全社的に災害に強くなったのは、東日本大震災が契機だ」(竹野リーダー)。

 熊本地震で提供した災害地図情報サービスの基礎も、東日本大震災を通じて培われた。ホンダがカーナビゲーションから取得した道路の通行実績情報を初めて表示。計画停電マップや避難所情報も地図とともに提供した。貴重な情報を矢継ぎ早に掲載できたのは、2011年以降の積み重ねがあったからだ。

 一方、掲載する情報の選定については、熊本地震でも試行錯誤が続いた。例えば、議論したが掲載を見送った情報として、人工透析施設やスーパーの営業情報、炊き出しスポットやペットの一時預かり施設などがあった。

 掲載の可否を判断する基準は、需要の大きさと情報の信頼性だ。人工透析施設の場合、情報を網羅した信頼できる情報源がなかったことから掲載を見送った。

 とはいえ、例えば1万人が必要とするスーパーの営業情報と、100人しか必要としない人工透析施設で情報の重要性をどう判断するかなど、明確な基準を定めるのは難しいとする。

 ヤフーは今でも議論を繰り返している。ニーズをどう判断すべきか。正確な情報とは何か。災害が沈静化した後、いつ情報提供を終えるのか。それが風化の後押しにならないか。同社は災害を経験する都度、災害対応の課題を洗い出し、「明日の災害」に生かす方法を話し合う会議を今も続けている。

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