調査データによれば、木造軸組み構法におけるプレカット材の利用率は9割を上回る。今や木造住宅の主流となったプレカットだが、それほど古い歴史があるわけではない。大工が半減するのを背景に、この30~40年ほどの間に急速に普及した技術だ。木造や木材利用のコンサルティングを担う木構造振興の原田浩司氏に流れを聞いた。

技術の原点編
誕生後は右肩上がりで一気に普及

 原田浩司氏が、木造・木材に携わるようになった1980年代半ば、住宅需要の増大などから、工務店では人手不足が顕在化し始めていた。まさにプレカットの導入が始まろうとしている時期だった。

1980年代半ば以降、大工のなり手が減少。一方、住宅の着工数が増えるなかで、施工の省力化に大きく貢献したのが木材のプレカット化だ(イラスト:綿貫 志野)
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 僕は、もともと建設会社で施工管理を担当していたのですが、コンクリートよりも木造に可能性を感じ、35年ほど前に故郷に帰って、山口県の工務店に勤め始めました。在来木造の設計・施工を手掛ける工務店で、大工と一緒に仕事をするなかで、木材や木造のことを学んでいきました。

 当時は大工が墨付けをして、のみやかんなで手刻みで加工していた。大工の徒弟制がわずかに残るなか、若い大工はすでに少なくなっていました。人手不足はまだ、そんなに深刻ではありませでしたが、将来の大工不足は明らかだったのです。手刻みだけでは間に合わないだろうと、代替手段として出てきたのが、プレカット技術だと思います。

 最初に見たのは、のみの代わりにドリルでほぞ穴を開ける角鑿機(かくせんき)の延長でつくられたものでした。1980年代半ばのことです。大工の墨付けを基準に継ぎ手・仕口などをボタン1つで加工してくれる。当時から「プレカット」と呼んでいて、かなりの時間短縮になっていました。熟練工でなくても刻みができることから、変化の兆しを感じました。

 同時期に、広島県の山根木材(当時)にプレカット工場ができたと聞いて、見に行きました。完全に自動化されたラインでした。こういった機械が普及したら、加工は専門工場が担い、大工は現場で組み立てるのが仕事になっていくだろうと感じました。予想通り、その後、大工の仕事内容が一変していきました。

 最初にプレカットの流れをつくったのは、愛知県豊橋市の宮川工機だと思います〔写真12〕。今でも、住宅系のプレカットでは、同社が先端を走っています。

〔写真1〕プレカットの流れをつくる
宮川工機が1976年に開発した初期のプレカット機「MHF型自動仕口加工盤」(写真:宮川工機)
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〔写真2〕複雑な加工も機械で一発
木造在来軸組み構法の住宅に用いるプレカット材の例(写真:宮川工機)
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 プレカットだけでなく、建て具などの既製品化も進み、タイルも少なくなって左官屋の仕事が減り、「現場から水がなくなった」と言われた頃です。こうした激変の頃に、私は木造に携わり始めた印象ですね。

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