本記事は、日経エレクトロニクス2015年6月号の特集「電子の鼻が社会を変える」の第2部を改題・分割して再掲載したものです。社名や肩書きは執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合があります。

携帯端末に息を吹きかけるだけで、がんなどの病気を早期発見できる。これまではおとぎ話だと考えられていた技術が、近い将来に現実となる可能性が出てきた。パナソニック、東芝、日立製作所などが世界の研究機関や企業と共に、開発にしのぎを削っている。実現すれば、これまでの医療/ヘルスケアの世界が大きく変わることになる。

 においセンサーがもたらす影響の中でも、最も社会的インパクトが大きいと言えるのが、呼気診断への応用だろう。呼気中の揮発成分の組成を調べて病気を診断する技術で、医療を大きく変えていく可能性が高い。

 呼気や尿のにおい、そして体臭を用いた診断の歴史は長い。古くは古代ギリシャの哲学者で医者であるヒポクラテスが提唱した。現代でも体臭や呼気のにおいが診断指標として使われている注1)

注1)例えば、糖尿病は「リンゴ臭」、ジフテリアは「甘味臭」、新生児で見つかるフェニルケトン尿症はカビ臭といった具合である。既に、胃がんの原因の1つとされるヘリコバクターピロリ菌を保菌しているかどうかは、呼気を分析して検査されている。

がん探知犬以後に論文が激増

 しかし、ほとんどのケースで、においを基にした診断は、診断の補助的な位置付けにとどまっていた。診断結果が医者の感覚や経験に依存し、データが数値化できないなど、客観性が担保できなかったからだ。

 客観性を備えた科学的な呼気診断技術の開発が始まったのは1990年代後半だ(図1)。同技術のパイオニアである米Menssana Research Founder & CEOのMichael Phillips氏の研究が有名で、体内で代謝される有機化合物を初めて網羅的に調べた。

図1 犬が研究に“点火”
呼気診断、特に呼気中のVOCを基にしたがんの早期発見を目指す研究の経緯を示した。先駆的な研究が1990年代後半から始まったが、2004年以降、犬が呼気や尿のにおいからがんを発見する例が相次いで報告されたことで一気に研究者と論文数が増えた。
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 ただし、しばらくの間は細々とした研究だった。2001年9月11日に米国ニューヨーク市で同時多発テロ事件が起こったことで状況が変わった。爆弾などの火薬のにおいを検知する高感度センサーの開発が盛んになったのである。さらに2004年以降は、犬ががん患者の呼気や尿などから非常に高い精度でがんを発見するという研究報告が相次いだ1、2)。日本でも2006年ごろから、がん探知犬「マリーン」の活躍が知られるようになった3)

 このがん探知犬の登場をきっかけに、においの研究者の多くが、研究対象を火薬や麻薬の探知からがん探知に切り替えた。

ネズミや虫もがんを早期発見

 犬以外の動物でがん探知を試した例もある。マウスやショウジョウバエ、そして線虫だ(「『犬並み』の嗅覚を持つ線虫、がん発見の有力候補に」参照)。

 パナソニックなどは、肺がんの細胞を移植したマウスの尿と健康なマウスの尿のにおいを、訓練したマウスを使って判別する実験を2008年ごろに実施4)。「移植した10日後から80%以上の正確さで判別できるようになった。mm単位の大きさの肺がんを早期発見できることが分かった」(パナソニック バイオセンシング開発部 部長の岡弘章氏)。一般に、肺がんが発見されるのはcm単位の大きさになってからだという。

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