大学の卒業式を間近に控えた2011年3月11日。熊谷組東北支店の千葉将太氏(31歳)は、宮城県多賀城市の自宅で東日本大震災に見舞われた。自宅は高台にあったので津波の被害は免れたものの、市内の大半が被災した。

熊谷組東北支店の千葉将太氏。1988年宮城県生まれ。2011年3月に東北学院大学工学部環境建設工学科を卒業し、同年4月に熊谷組入社。山梨リニア実験線や三陸鉄道南リアス線、釜石山田道路などの建設工事を担当。18年8月に宮古盛岡横断道路の腹帯橋の現場に配属された(写真:日経コンストラクション)
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 千葉氏は、その年の4月に熊谷組に入社した。「交通網がまひしていて、東京の入社式に出ることすら危うかった」と千葉氏は振り返る。

 東北支店への配属が入社前に決まっていたが、震災で同支店は混乱。とても新入社員を受け入れられる状態ではなかった。そのため、1年目は山梨リニア実験線で橋梁上部工の現場を担当した。

 被災地出身で、こうした入社経緯があるだけに、復興への思い入れは人一倍強い。ただ、被災から入社までの間は生活していくのが精いっぱいで、入社後に復興関係の仕事に関わりたいとまで考えが及ばなかったという。

 それでも、ライフラインが破壊され、不便な生活を強いられたことは強く記憶に残った。1978年に起きた宮城県沖地震のことなどは親から聞いていたが、自身で体験する震災は全く感じ方が違った。

 山梨の現場にいる間も、被災地では人々が困難な状況に立ち向かっている。「東北で復興の仕事に携わりたいという思いは常に持ち続けていた」(千葉氏)

 こうした思いが考慮されたのか、入社2年目の12年8月に三陸鉄道南リアス線の復旧工事の現場に異動。以後、一貫して東北で復旧や復興関連の工事に携わっている。現在は、復興支援道路に位置付けられる宮古盛岡横断道路で、JR山田線と交差する「腹帯橋」の建設工事を担当している。

 復興工事に関わっていて、強く感じるのが地元の期待だ。復興に向けた地元の強い意志の下で、発注者や施工者が一丸となってインフラを造り上げていく。それが完成したときの充実感はひとしおだという。

千葉氏が担当した釜石山田道路の八雲第3トンネル(延長149m)。13年11月末に掘削を開始し、約2カ月で貫通した(写真:熊谷組)
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三陸鉄道南リアス線の運行再開記念式典の様子(写真:熊谷組)
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 「三陸鉄道南リアス線で、大勢の方の声援をもらいながら運行再開の記念式典を迎えたことは、忘れられない思い出だ。テレビなどで全国的に取り上げられ、地元の方々の気持ちが伝わってきた」(千葉氏)

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