イーロン・マスク氏が2017年に創設したBMI(Brain Machine Interface)のスタートアップである米ニューラリンク(Neuralink)は、2019年7月17日に新開発のデバイスや今後の研究方針などを発表した。同社は今回、神経細胞活動をセンシングするためのチップを独自に開発した。神経科学者としてBMIの研究を手掛けた経験を持つハコスコ代表取締役の藤井直敬氏に、その技術的な特徴を解説してもらった。(日経 xTECH編集部)

 ニューラリンクが今回公開した「N1」チップは、新規に起こされたものだ。2年の開発期間中に、15セットの試作を繰り返したという。電極につながるチップの役目は、まず電極周辺の神経細胞活動を含むアナログ的な微少な電位変化を増幅し、デジタル変換することである。この段階を同社は「アナログピクセル」と呼ぶ。

N1チップ(ニューラリンクがYouTubeで公開している動画からキャプチャー)
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N1チップは電極と接続した上で防水ケースに入れる(ニューラリンクがYouTubeで公開している動画からキャプチャー)
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 デジタル変換された脳からの信号は、電極先端付近で発生する様々な電位変化が混ざった状態にある。神経細胞は電極先端周辺にたくさんあるし、それぞれの神経細胞は記録とお構いなしに活動を続けている。

 このアナログピクセルの段階での最大の問題は、いかにノイズを低減するかにある。生体アンプのノイズ性能がこれ以降のプロセスの全ての性能に影響を及ぼすので、ノイズは少なければ少ないほど良い。しかし、回路を微細化すればするほどノイズを取り除く設計は難しくなる。そのため今回のような3072チャンネル対応のシステム設計が大変困難だったことは想像に難くない。

N1チップに至るまでに試作してきた電極および記録・解析チップ(ニューラリンクがYouTubeで公開している動画からキャプチャー)
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 そのバランスを彼らはうまく取って、神経細胞活動を正確に取り出すことができる回路性能を確保した。実際にビデオ中の活動のトレースを見るとノイズレベルは十分低く見える。

 この段階は単なるアンプによる増幅とA/D変換にすぎないので、通常は特定の名称を与えることは無い。それでも彼らがこの段階でアナログピクセルという名称を当てたということは、よほど開発が大変だったのか、もしくは何か特別な意味があるのかもしれない。

電極からの信号に「アナログピクセル」と呼ぶプリプロセス処理を行った上でデジタル化する(ニューラリンクがYouTubeで公開している動画からキャプチャー)
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短時間でスパイクを発見

 神経伝達物質の伝搬によって神経細胞がスパイクを発生させると、周辺に特有の電位変化が生じる。脱分極と呼ばれる電位変化で、細胞ごとに微妙に異なる波形を発生する。スパイクの幅は数ミリ秒のことが多い。

 神経細胞活動記録とは、この局所の電位変化の中から、個別の神経細胞特有の波形を解析し、細胞の活動のタイミングを抽出する作業を行うことである。

 波形解析は昔から様々な手法が開発されてきたが、基本的には信号の中からスパイクが持つ特徴点を抽出し、それにマッチする波が発生したときに神経が活動したという判断を行う。N1チップのアルゴリズムがスパイク波形をどのように弁別するかの手法に対する解説は無かったが、高密度電極を使っていることから、近傍の電極の信号も細胞の弁別に利用している可能性が高い。前回紹介した「テトロード」という4本の電極を使った場合は、4本の電極からの信号に基づいて解析対象の次元を4倍に増やして弁別の精度を上げる。

 ニューラリンクの場合も、同じような技術を使うことは可能だろうが、一方で解析データ量が増えると処理時間も余計に必要になる。同社は波形弁別に0.9マイクロ秒しかかからないと主張しているので、もしかしたら単一電極の信号解析だけを行っている可能性もある。

 0.9マイクロ秒でスパイクを見つけられるというのは驚異的で、BMIの仕組みとしては理想的だ。リアルタイムの波形解析を行うには、通常電極をインプラントし、その後に解析のためのパラメーターをN1チップが学習する必要がある。今回のプレゼンテーションでは波形学習のアルゴリズムは明らかにはされていない。

 通常脳内に挿入された電極の位置は日々微妙に変化する。とすると神経細胞と電極の距離が変わることから、スパイク波形も微妙に変化することになり、波形解析のパラメーターは適宜アップデートされなければならない。そのような動的なパラメーターのアップデートがN1チップ上で行われるのか、それとも定期的にラボで再学習が行われるのは不明だが、恐らく最初の段階では後者なのではないかと思う。

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