※本記事は、『日経エレクトロニクス』2004年7月19日号に掲載された記事を再構成・転載したものです。記事中の社名や肩書き、情報は掲載当時のものです。

 招待状の内容は曖昧だった。差出人は米Apple Computer, Inc.。「音楽を耳元に届ける」何かを発表するという。Apple社が指定した会場は、サンフランシスコのど真ん中にある巨大施設Moscone Convention Center。ちょうど竣工したばかりのWest Wingを、業界へのメッセージを奏でる場に選んだ。

 誘いを受けた報道陣は、憶測を巡らせた。有力な説は大手レコード・レーベルの買収だった。Apple社が米Universal Music Groupを傘下に収める――そんな噂がシリコンバレーを駆け巡った。

 発表会当日。2003年4月28日は、いかにもカリフォルニアの春らしい一日だった。青のジーンズに黒いタートルネック。Steve Jobsは、見慣れた姿でステージに立った。Steveは語り始めた。これから話す内容をほのめかしつつ、音楽業界へのささやかな謝意を呈した。「iTunesを発表した時、我々が掲げたメッセージは『rip, mix, and burn(吸い上げ、並び替え、CDに焼く)』だった。これだと音楽業界には、海賊行為を助長すると見えたかもしれない。これからの合言葉は『acquire, manage, and listen(手に入れ、管理し、聴き入る)』だ」。

 そしてSteveは、「iTunes Music Store」を発表した。

正直な人々を正直なままでいさせよう

 ――iTunes Music Storeは、Steveが1年数カ月前に出した要求から始まった。「一番の狙いは、使いやすさだった。曲のサンプルを聞けて、クリックすれば買えて、曲が自分のものになる、そんなオンライン・ストアをSteveは望んだ。そこで僕らは、ユーザーが圧縮フォーマットやDRMを気にせずに、音楽だけに集中できる『体験』をつくり出したんだ。他のすべてのサービスに欠けていたものをね」。Apple社でiTunesのDirector of Product Marketingを務めるChris Bellは振り返る。

 例えばCDの場合、店で買ってきてプレーヤにかけるのに、わざわざマニュアルを広げる人はいない。ところが、当時の合法的な音楽ダウンロード・サービスでは、購入から再生までのステップが複雑で、ちょっとしたパソコンの知識が不可欠だったという。既存のサービスでは、著作権管理技術(DRM)がユーザーに課す制約も大きかった。購入した楽曲を何台ものパソコンで聞いたり、CD-Rにコピーしたりといった、ユーザーが当然望む行為ができないのだ。

 Apple社は、当時のダウンロード・サービスが置かれたがんじがらめの状況を、ユーザーのために解きほぐせばよかった。もちろん容易に達成できないことは百も承知だった。しかし、これを実現しない限り成功はないとみた。

 最大の難関は、多数の楽曲の権利を統括するレコード会社である。Apple社は、条件次第でレコード会社側の理解は得られると考えた。例えば、ダウンロードした曲をCDにコピーするとき、同じ曲順でコピーできる回数を制限する。ほとんどのユーザーは、この制約を制約とは感じないだろう。ただし、楽曲を大量に複製する海賊版CDの製造業者には大きな障害になる。「普通の使い方をする限り、ユーザーはこうした制約に近づくことさえない。何かおかしなことをやろうとすると、制限にぶち当たる。正直な人々を正直なままでいさせようって発想だった」(Chris)。

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