※本記事は、『日経エレクトロニクス』2004年7月5日号に掲載された記事を再構成・転載したものです。記事中の社名や肩書き、情報は掲載当時のものです。

 抜けるように青い空だった。2001年10月23日。カリフォルニアの乾いた空気を切って、報道関係者は車を飛ばした。目指す住所は1 Infinite Loop(無限ループ)。米Apple Computer, Inc.の本社がそこにある。

 記者たちが抱く期待は大きかった。

 米国経済は、ITバブルの崩壊の余波から脱していなかった。それどころか9月11日、追い打ちをかけるように同時多発テロが襲った。一時は厳戒体制に置かれたシリコンバレーを、常と変わらぬそぶりで行き交う人々の表情には、今でも暗い影が差していた。

 だからこそ、誰もが新しい光を求めた。垂れ込めた閉塞感を突き破る何かを待ち望んだ。そこへ舞い込んだのが、Apple社の招待状だった。「画期的な新製品」を発表するという。Apple社は、Macintoshを中心に多様なデジタル機器が自在につながる「デジタル・ハブ」構想を打ち出したばかりだった。ベールを脱ぐ製品は、構想の中核を担うはずだった。

 Apple社の敷地内にあるホールに報道陣が参集した。映画館ほどの会場の、すり鉢状に下った床の先にステージがある。100人を下らない聴衆は、未来を変えるかもしれない発表の瞬間を、固唾をのんで待ちわびた。

Windows版をやるべきだったのか

 「Macを中心にさまざまなデジタル機器が簡単につながる世界を提案したい。そのための第一歩として、携帯型音楽プレーヤを選んだ」。

 洗いざらしのジーンズに、刈り込んだ髪、無精髭。壇上のSteve Jobsは、いつにも増して自信に満ちていた。カリスマと呼ばれた往時のままに、一同の視線をわしづかみにした。iPodのコンセプト、魅力、機能を、実演を交えて説明し、18日後に店頭に並ぶことを高らかに宣言した。

(写真:林幸一郎)
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 その姿を、iPodの開発チームは感慨深く見守った。「すごい製品を発表するときはいつもそうだけど、このときも興奮してアドレナリンが出た。しかも、この発表は格別だったな。僕らは本当にやってのけたってことに、僕ら自身驚嘆した」。現在Apple社でVice President of Hardware Product Marketingを務めるGreg Joswiak―Joz―は、Steveが登壇した時の気持ちをこう回想する。Jozたちが驚いたのは、着手からたった約9カ月で、全く新しい製品の出荷までこぎ着けたことだった。「しかも、僕らは何一つ妥協しなかった」(Joz)。

 Steveがプレゼンテーションを終えると、記者からの質問が乱れ飛んだ。その1つは、Apple社の痛いところを突いた。「Macintosh向けだと市場が限られる。Windows 版は出さないのか」。Steveは「今のところ計画はない」と即答した。

 Jozは振り返る。「Windows版をやるべきかどうか、僕らは本当に分からなかったんだ。このことは、今でも記憶にこびりついてる。僕らが『分からない』って言うことは、めったにないから。当時は、WindowsからMacintoshへの乗り換えキャンペーンの最中だった。iPodをそのキャンペーンの武器として利用する考えもあった。だけど、iPodをMacオンリーにするか、それともそれ自身独立したビジネスにすべきか、正直言って決めかねていた」。