※本記事は、『日経エレクトロニクス』2004年5月24日号に掲載された記事を再構成・転載したものです。記事中の社名や肩書き、情報は掲載当時のものです。

 最初にいたのは、たったの2人だけだった。1人がマーケティング、もう1人は技術の担当である。この2人に、携帯型音楽プレーヤの市場調査の命が下った。2001年初めのことだ。

(写真:Akiko Nabeshima)
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 その年のクリスマス・シーズン。わずか9カ月余りで、製品が店頭に並んだ。製品の評判は上々だった。ただし売れ行きについては、世評が相半ばした。同社として全く経験のない分野への進出に、失敗をほのめかす意見もあった。

 それから2年半。2人が礎を築いた事業の成功を疑う声はもはやない。2004年第1四半期の売上高は、2億6400万米ドルに達した。出荷台数は80万7000台。同社の主力製品であるパソコンの台数を上回る。彼らの製品のヒットは、1社の窮地を救っただけでなく、人々が音楽を聴くスタイル、そして楽曲を買い求める手段までをも変えつつある。

 iPod。これはその誕生の舞台裏である。社内の事情を秘して語らない米Apple Computer, Inc.が、重い口を開いて明かした開発の軌跡である。

忘れ去られがちな存在

 2001年初頭。Apple社は、活路を求めて暗闘していた。20世紀の最後の数年に同社の決算を彩った「iMac」の威光は、既に消えつつあった。2000年10月~12月期、同社は1億9500万米ドルの損失を計上した。売上高は10億米ドル。前年同期と比べて57%も減った。

 苦境にあえぐ同社は、今後の成長を見込める分野として音楽関連市場に触手を伸ばした。2001年1月に開催したMacworld Conference & Expoで、Apple社は第一弾の製品をお披露目する。Macintosh向けのジュークボックス・ソフトウエア「iTunes」である。

 「World's Best and Easiest To Use Jukebox Software」(Apple社の発表資料)と宣言してはみたものの、業界の見方は冷ややかだった。音楽市場への参入が、あまりにも遅かったからだ。既に米国では、パソコンやインターネットが音楽市場にもたらす「革命」の話題で持ちきりだった。一般消費者の熱狂的な支持を取り付けた米Napster, Inc.は、音楽ファイルの交換サービスを巡って、米国の5大レコード会社と激烈な法廷闘争のさなかにあった。革命の舞台と見なされたのは世界にあまねく広まったWindowsパソコンであり、一握りのファン層を相手にするMacintoshは、忘れ去られがちな存在だった。Apple社の発表は、この現状に対するささやかな異議申し立てにみえた。

 Apple社が、携帯型音楽プレーヤの製品化に向けて水面下で動き始めたのはMacworld Conference & Expoの直後である。もしこのときApple社の狙いを聞き付けた競合他社があったとしたら、間違いなく一笑に付しただろう。

 Apple社の構想に似た製品は、既に市場にあふれていた。パソコンの周辺機器を手掛ける米Diamond Multimedia Systems, Inc.は、フラッシュEEPROMを使った携帯型音楽プレーヤ「Rio PMP300」を、1998年に早くも投入している。2001年初めには、多くの周辺装置メーカーが製品をそろえていた。いずれも売れ行きは、はかばかしくなかった。パソコンにつないで使う音楽プレーヤといえば、当時はニッチ商品の代名詞だった。

 何よりApple社は、民生機器市場での実績に欠けた。1990年代初頭に売り出したデジタル・カメラ「QuickTake」は、世界もApple社も変えなかった。携帯型情報機器「Newton」が残したのは、同社がこの製品に冠した「PDA」という言葉だけだった。

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