航空機の発展とともに進化してきた

 次に、当社の歴史を振り返ってみたいと思います。当社の創業は1952年。最初は航空機ではなくヘリコプター2機で農薬を散布したり、高圧線を山に張ったりという事業から始めています。航空ビジネスの本当に隅っこからスタートしたわけですが、航空機の技術開発とともに、常に新しい航空機を入れてきています。

 英デ・ハビランド・エアクラフトのレシプロエンジン搭載機を導入し、その後はドイツのフォッカー社のフレンドシップというターボプロップエンジン搭載機を導入しました。主翼が機体の上にあり、窓から下がよく見える航空機だったようです。この後、日本にもどんどん新しい航空機が入り、ボーイング727や737といったジェット旅客機の時代になっていきます。

 前回、1964年の東京五輪のときには、聖火を日本航空がアテネから沖縄まで運び、ANAが沖縄から日本の本土に運びました。当社はその頃、国産旅客機YS-11を購入することを決めていたので、我々にお鉢が回ってきたのです。沖縄を飛び立った聖火は鴨池空港という旧鹿児島空港に降り立ちまして、そこから聖火ランナーが走りだしたのですが、実は私は当時、空港のすぐ近くにあった鴨池小学校の3年生でして、沿道で旗を振っていたのを覚えています。こういうご縁がありますので、当社で聖火を運びたいと言ったりしております。

 1970年代になると航空機が大きくなっていきます。米ロッキードのL-1011はエンジンが3基ありトライスターとも言われました。それからエンジンが4基あるジャンボ機、米ボーイングの747ですね。これは国際線も飛びました。我々が国際線に進出した頃、747のファーストクラスは24席もありました。今では8席ですが、当時の747はこうした思い切った勝負ができる航空機でした。

 1980年代に入るとボーイング767という中型機が出てきました。この航空機が画期的だったのは、それまで機長、副操縦士、航空機関士という3人体制で乗務していた航空機が、機長と副操縦士の2人体制で運航できるようになったことです。これ以降は2人体制で運航できる航空機が主力になっていきます。

 1990年代には欧州エアバスのA320を購入し、その次にボーイング777を導入しました。これは大型エンジン2基で長距離を飛べます。ニューヨークやフランクフルト、ロンドンなどにお客さまを大量に運べる航空機ということで脚光を浴び、国際線の主力機になっていきました。

 その後、2010年代にはボーイング787を導入しました。当社は787のローンチキャリア、つまり世界の航空会社で最初に導入し商業飛行する権利を買ったのです。この787は、本当は2008年の北京五輪までに運航を始める予定だったのですが、新しい航空機は往々にして遅れるもので、2011年に入ってきました。

 その後もリチウムイオン電池の問題があったり、英ロールス・ロイスのエンジンでブレードを交換したりと苦労もありましたが、当社は現在までに83機発注しており、787の発注数が世界で一番多い航空会社になっています。ボーイングは自身で「ドリームライナー」と呼んでいますが、中型機で航続距離1万キロメートルを超え、遠距離に飛ばせるということで、コストを抑えながら当社のネットワークを拡大できる可能性が広がりました。