「痛くない注射針」「1枚板から電池ケースを深絞り」など世の中にない製品を高いプレス加工技術で生み出してきた岡野工業の岡野雅行氏。後継者不在から廃業を決めた同氏が、技術の神髄を語った。(聞き手は木崎 健太郎=日経 xTECH/日経ものづくり)

※本記事は、『日経ものづくり』2018年6月号に掲載された記事を再構成・転載したものです。記事中の肩書きや情報は掲載当時のものです。

 85歳になりました。もう仕事はやれませんよ。そりゃ、頑張ればまだできますけど、やっぱり限界があります。だから後2年続けたら、その後は廃業すると決めました。

 ところが「やめる」って言ったら、「その前にちょっと手伝ってくれ」って、おかげさまで仕事が今でも来ています。単に部品を造ってくれっていう話ではなくて、製品開発の話ばかりです。こんなのを造ってくれないか、とね。中でも高速鉄道に関する部品のすごい案件があって、私も興味があるから、廃業までにそれだけは完成させようと思っています。

岡野雅行(おかの・まさゆき)
岡野工業 代表社員。1933年2月14日生まれ。1945年に向島更正国民学校を卒業した後、父親の金型工場を手伝いながら金型技術を学ぶ。1972年に岡野工業を設立。父親の反対を押し切ってプレスによる量産も手掛ける。深絞りで1枚板からリチウムイオン2次電池のケースを造るなど、大手企業でさえさじを投げた難易度の高い部品の製造で知られるようになる。現在でも従業員3人で売上高8億円を稼ぎ、経営は順調だが、岡野氏が85歳になったのを機に廃業を決めた。(写真:尾関裕士)

 岡野工業で今造っているものは、取引先で造れるように指導します。テルモさんと開発した「痛くない注射針」も、先方の技術者に3~4年間来てもらって、その人たちに教えました。もういっぱしの物がテルモで造れるようになっています。他にも自動車部品メーカーの仕事や、センサーを手掛ける会社の仕事などがありますが、2年後までに取引先に教え終えるつもりです。

 2005年に、先端の外径が0.2mmの「痛くない注射針」をテルモからの依頼で開発した。従来の注射針のようにパイプを細くするのではなく、板金を巻いてテーパー状の針を造る。注射針の内側もテーパー形状であるため、径を細くしたにもかかわらず注入抵抗がほとんど増えなかった。

頭がいいだけじゃ飯は食えない

 岡野工業に限らず中小の町工場に跡取りがなかなかできないのは「教育が悪いせいだ」といつも言っています。われわれの時代は高校を出て、後は第一線の工場に入って、親方にぶん殴られながら40歳まで修行して、技術を覚えた。今の若い子は、大学を出た時に既に20歳を大きく超えているから、それから技術を覚えようっていったって無理な話。やっぱり若いうちに覚えなきゃ。教える方もいいおじさんをつかまえて「この野郎」なんて言えませんよ。

 今の子は辛抱もできない。テレビとかインターネットとか、いろんな雑音が多いからね。1つのことに熱中ってなかなかできないんですね。

 今の人は学問ばっかり。学問でできるんだったら何も僕の出る幕じゃない。でも勘所っていうものはある。新幹線の台車に亀裂が入った事故だって、勘所をまじめにやらないからあんなことになる。やっぱり職人の出番っていうものはあるんだよね。

 いや、学問は大切なんですよ。だけど、親方がちゃんと教えていかないとものにならない。頭がいいだけじゃ飯は食えない。職人はものを造って、世の中にないものを実現していってこそ意味がある。

 岡野工業は医者に例えるなら、どこの病院に行っても見放された人が来る所です。痛くない注射針だって、テルモの人が1年間かけて300社ぐらい大きな金型屋さんを回って、全部断られて最後にうちに来た。でも、僕に言わせると、300社の中には「造りたい」ってやつが少しはいたはずだと思います。なのに、「出来る」と言わなかった。それは、リスクを取れないからでしょう。

 難しい仕事に失敗の危険を冒して取り組んで、本当に失敗して出来なかったら給料が下がってボーナスが出なくなってしまう。そう思えば、最初からやらないのが無難なわけです。みんなが「出来ない」って言っているのが一番楽でいい。

 僕はここ(岡野工業)でずっとやってきて、リスクが自分で負えるからそういう仕事ができる。それで、他で出来ない仕事ばっかりうちにくる。僕も僕で、他でやれるような仕事はやらないから。

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