弱みが強みに転化する――。それこそが日本の工作機械産業が1980年代以降に世界のトップに立てた根本要因ではないか。今振り返ってみて、その思いを強くしている。今回はそれについて考えてみたい。

なぜ開発主体に違いが

 前回、日米でCNC(コンピューター数値制御)装置の開発主体が異なっていたことを紹介した。米国は工作機械メーカー主体で開発が進み、日本は他産業から参入した富士通などが主導権を握った。その結果、CNC工作機械産業全体の分業も異なる形態になった。

 それでは、なぜ同じ製品にもかかわらず、CNC工作機械産業の草創期において、日米で開発主体が異なっていたのか。この問いは極めて重要な課題である。この開発主体の違いこそが、巡り巡って最終的に米インテル(Intel)のMPUへの評価の差となって表れ、日米の命運を分けた直接要因になったからだ。

 そもそもNC装置の特性を考えれば、米国方式、つまり工作機械メーカー主体で最適なCNC装置の開発を進めるのが当時としては理にかなっていたと考えられる。NC装置は工作機械の“頭脳”であり“司令塔”であるから、工作機械の機械特性に合わせてNC装置の仕様も決まる。工作機械には、旋盤やフライス盤、研削盤などさまざまな種類が存在し、しかも種類ごとに加減速の時定数など機械特性が異なるからである。

 その意味では、NC装置は本来的に「特注化」の性質が強い製品である。そう考えると、米国で工作機械メーカーが主導して自社の工作機械に合った最適なCNC装置を自ら開発しようとしたのは、むしろ合理的な判断だったともいえる。

 だが、日本では富士通(後のファナック)などエレクトロニクスメーカー主導でNC装置の開発が進んだ。工作機械メーカーは、これら専業メーカーから標準的なCNC装置を購入して自社の工作機械に据え付け、それをエンドユーザーに販売していた。前述したNC装置の特性を考えると、日本の方がむしろ特殊な進め方だったともいえる。なぜ、日本では他産業から参入したメーカーがNC装置の開発主体になり得たのか。

 日本の工作機械メーカーがNC装置の自社開発に関心を持っていなかったかといえば、必ずしもそうでもない。歴史をひも解くと、牧野フライスや日立精機、オークマなどの工作機械メーカーは、富士通と共にNC装置の共同開発を進め、展示会に試作機を出していたことが分かる。例えば、1958年に大阪で開催された国際工作機械見本市で、牧野フライスと富士通はNCフライス盤を共同出品した。翌1959年には、日立精機と富士通が共同でNCフライス盤を三菱重工業名古屋航空機製作所に納入している。ちなみに、これが商用1号機である。さらに、オークマも1959年から富士通と共同でNC工作機械を開発しており、1961年の東京での国際見本市にラジアルボール盤を出品した。

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