1975年は、日本の工作機械産業、さらには日本の製造業にとって記念すべき年である。ファナックがCNC(コンピューター数値制御)装置に世界で初めてマイクロプロセッサー(MPU)を使い、それを契機として日本の工作機械産業は世界の先頭に躍り出たからである。MPUが1971年に誕生してから、たった4年後のことだ。日本は技術体系が大きく変わる潮目を生かして、それまで工作機械産業の頂点に君臨していた米国を逆転した。

(出所:PIXTA)

 かつての米国の工作機械産業は、1960年代をピークとして、生産額および技術力で圧倒的な存在だった。1965年、米国の工作機械生産高は世界一を誇り、全世界の28%のシェアを占めていた。日本よりもはるかに多かった。

 しかし、1980年代以降、日本の工作機械産業の急速な成長と反比例するように、米国は一貫して低迷状態に陥り、今日に至るまで復活しなかった。1986年に米国工作機械産業の生産高シェアは10%にまで落ちるとともに、米国市場における外国製品のシェアは49%にまで達した。このように日米の工作機械産業は1980年代前半に盛衰が逆転し、その状態が今も継続している。

 現在、CNC装置の主なメーカーは、ファナックや三菱電機などの日本勢と、シーメンス(Siemens)に代表されるドイツ勢であり、米国勢の活躍は見られない。正確には、かつて米国勢も復活を狙った時期があったものの、断念した。例えば、米国を代表する巨大企業のゼネラル・エレクトリック(General Electric、GE)も、昔はCNC装置を造っていた。しかし、単独での事業継続を諦め、1986年にファナックとの合弁会社(GEファナックオートメーション)を設立して生き残りを図った。名経営者として名をはせたジャック・ウェルチ氏がGEの最高経営責任者(CEO)だった時代である。最終的に、2009年に約20年続いた合弁を解消し、GEはCNC装置の開発・製造から撤退した。

 かつて隆盛を誇った米国の工作機械産業と、その米国を抜き去り今も圧倒的な影響力を誇る日本の工作機械産業。その盛衰の分岐点はどこにあったのだろうか。時期でいえば、やはり1975年ということになる。

 例えば、CNC旋盤生産台数の日米欧比率は、1975年ごろは日米欧いずれも同じぐらいだが、MPU搭載CNC装置が開発された同年以降、日本はシェアを急速に伸ばした一方、米国は落ち込んでおり、対照的な軌跡をたどった。1985年には、CNC旋盤の7割以上が日本で生産されており、生産の中心が完全に日本にシフトした。

CNC旋盤生産台数の日米欧比率(出所:Ehrnberg & Jacobsson[1997])
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