米インテル(Intel)は、PCやサーバーの基幹部品であるマイクロプロセッサー(MPU)を手掛ける優良企業として有名だ。現在我々が享受している日常生活は、MPU無しには成り立たない。そのインテルは、いかにして優良企業たり得たのか。当たり前だが、最初からそうだったわけではない。

 これは、世界中の経営者にとって極めて関心の高いテーマだろう。経営者であるならば、恐らく誰もが自社をインテルのような優良企業にしたいと望んでいるに違いない。

 直接的な契機は、広く知られている通り、1981年にコンピューター産業の巨人・米IBMのPCにインテルのMPUが採用されたことにある。それを皮切りにインテルはMPUメーカーとしての道を突き進み、PC産業の成長と共に同社も成長を遂げた。

 ただし、インテルは半導体メモリーの一種であるDRAMを開発する企業として1968年に設立された企業である。インテルの祖業はMPUではなくDRAMだった。同じ半導体とはいえ、メモリー機能のDRAMと、論理演算機能のMPUでは大きな違いがある。

 ならば、1968年の創業から1981年までの10年余りの間に、インテルに一体何が起こったのか。その道筋をひもといていくことが、インテルのような成功を収めるためのヒントを得ることにつながるだろう。結論からいえば、インテルはこの間に祖業のDRAMから撤退し、主力事業をMPUに大きく変えたのである。

 インテルが主力事業を変える試行錯誤のプロセスは、拙著『日本のものづくりを支えた ファナックとインテルの戦略』(光文社新書)に詳しい。そこでは、インテルがMPUの着想を得た過程や、DRAMとMPUのはざまで苦悩する経営トップの姿などを描いたが、ここでは話を進めるために割愛する。本連載のテーマとの関係で重要なポイントは、インテルが事業戦略を転換する上でファナックが一役も二役も買ったこと、そして両社の緊密な共同開発が両社のその後の成長に大きく貢献したということである。

(出所:PIXTA)
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 ファナックとインテルは、過去の本連載で紹介した通り、1975年に初めて接点が生まれた。同年にファナックがCNC(コンピューター数値制御)装置「2000C」にインテルのMPU「3000」シリーズを採用し、ハードワイヤード技術からソフトワイヤード技術への転換を図ったのである。その後、ファナックは1978年に当時の最先端MPU「8086」を採用したCNC装置「システム6」を開発した。この挑戦は、後述する通り困難も大きかったが、結果として大きな果実をファナックとインテルにもたらした。

 8086は、長らくインテルを支えた「x86アーキテクチャー」の端緒となったMPUである。x86アーキテクチャーは、命令セットが8086と互換性を持つMPUを指す。互換性を持つと、同じハードウエアとソフトウエアが動作するので、顧客が資産を継承できるという大きなメリットがある。その後、インテルは「80286」「80386」「80846」といった後継MPUを次々と開発するが、これらは全てx86アーキテクチャーである。その意味で、8086は現代のMPUの原型であり、インテルMPUの原点はここにある。

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