新規事業を成功させることは至難の業だ。しかし、幸いにして新規事業が成長し、一定のめどが付いた場合に、経営トップは一層難しい経営判断に迫られる。それは、新規事業の処遇を巡る判断である。大まかにいえば、新規事業をこのまま中にとどめておくのか、あるいは外に出すのかという判断である。NC(数値計算)装置事業を開発した富士通社内でも、その将来を巡って深刻な議論が展開された。

(出所:PIXTA)

 1970年代になると市場の成長に伴いNC装置の生産台数も増加し、富士通社内で押しも押されもせぬ高収益部門に成長していた。実際、1970年の富士通の利益率は6%程度だったのに対して、NC部門は20%を超えていたという。ここに、10年以上にわたる富士通のNC事業への投資は、ようやく日の目を見るに至ったのである。

 当時の富士通は、国産コンピューターの開発に向けて膨大な資金需要に直面していた。NC事業への長年の投資がやっと実を結びつつあるのだから、NC部門の収益をコンピュータ部門に回すというのが当時の富士通にとって経済合理性にかなった判断だった。にもかかわらず、富士通経営陣は目先の経済合理性とは異なった判断を下した。このあたりの経緯は、拙著『日本のものづくりを支えた ファナックとインテルの戦略』(光文社新書)に詳しい。

 最終的に富士通経営陣は、1972年4月14日、富士通からNC部門を分離独立させ、新会社「富士通ファナック」(1982年7月1日にファナックに改称)を設立することを決定する。つまり成功した社内新規事業を企業の中にとどめておかないで、外に出して独立性を高めたのである。それから50年近くたった今、この分離独立の経営判断が正しかったことは歴史が証明しているといっていいだろう。

本社近くにPC事業を呼び寄せたIBM

 これと対照的な経営判断は、1980年代に米IBMがPC事業を社内新規事業として成功させた後の処遇に見られる。IBMはPC事業を本社のあるニューヨーク州から遠く離れたフロリダ州のボカラトンで社内新規事業として立ち上げた。1980年にはわずか12人だったPC事業部隊は、1984年には9500人にまで増えた。1981年のPC-ATの発売以降、PC事業は成功を収め需要が急増したのである。

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