広く知られていることだが、新しい技術があっても、それが製品化され首尾良く事業化されるまでには多くの越えるべき障壁が存在する。死の谷や、ダーウィンの海と称されるものがそれだ。良い着想が生まれたからといって、事業化にまでこぎ着けるのはそうそう容易なことではないのである。富士通の社内新規事業としてスタートしたNC(数値制御)事業もその例に漏れることはなく、黒字にたどり着くまでには幾多の困難を越えなければならなかった。

(出所:PIXTA)

 前回、富士通がNC装置の開発に狙いを定めた戦略策定のプロセスを見た。その後の稲葉清右衛門(いなばせいうえもん、後のファナック創業者)たちのプロジェクトチームによる精力的な開発の結果、「代数演算パルス分配方式」および「電気・油圧パルスモーター」という極めて重要な2つの発明に成功した。それによって、NC装置の性能と安定性は大きく向上し、技術的には実用に堪える水準にまで向上した。この過程で東京大学との共同開発を行ったことなどが大きく貢献したが、この辺の試行錯誤のプロセスは、拙著『日本のものづくりを支えた ファナックとインテルの戦略』(光文社新書)に詳しい。

 技術水準は大きく向上したが、市場の需要はそう単純に高まったわけではなかった。NC装置を付加したNC工作機械というものは、これまで世の中に全く存在しなかった新しい製品であり、顧客がその価値と意義を理解するにはまだ時間を必要としたのである。製品は確かに出来たけれども、市場でなかなか売れないという状況に直面していたのだ。世の中に存在しない新しい製品であるために、NC工作機械の市場はまだ間口が狭く、販売は容易ではなかった。稲葉たちの懸命の努力も報われず、決算は毎月赤字が続くという状態だったのである。

 死の谷を越えてNC部門がようやく黒字に転換したのは、1965年である。稲葉がNC開発に取り組み始めたのが1956年であるから、黒字に転換するまで、実に9年間も待たなければならなかったことになる。その後、NC装置の出荷台数は、1965年に388台、68年に483台、69年に1184台、70年に1684台へと加速度的に増加していく。その後のNC装置出荷台数の伸びは、右肩上がりの急成長を遂げた。

 富士通の経営陣は、NC装置の開発から撤退することなく開発を継続したが、なぜ9年間も赤字に耐え忍ぶことができたのだろうか。

 それはまず、当時の富士通経営陣の新規事業に対する決意と見識を挙げなければならないだろう。新規事業は当座の収益を生まないために、その成功には何よりも経営陣のコミットメントが重要だからだ。

 それがなければ、当面金食い虫でしかない新規事業は、政治力が強い主力事業に食われてしまうはずだ。その意味で新規事業とは、経営陣の庇護がなければ育たないものであり、現場に丸投げしてうまくいくはずはない。

 そしてより重要なのは、新規事業が生まれ成長するプロセスの特徴を理解しているかどうかだ。

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