新規事業の開発はいつの時代も、どの企業にとっても難しい。我々の調査によれば、とりわけ現在の日本企業は、新規事業の育成を渇望しながらそのアイデア不足に頭を悩ませているようだ。成功例は少なく、ましてや、産業革命以来最大の技術革新と評されるCNC(コンピューター数値制御)装置に相当するような成功例はそうそうあるはずもない。

(出所:PIXTA)

 新規事業やイノベーションの成功とは統計的にいうならば外れ値なのであり、統計的な手法で共通した成功パターンを見いだすことは難しい。それ故に成功した事例を丹念に観察し分析して、背景の論理を抽出することが、有益な知見を見いだすための方法なのだ。

 既に知られていることだが、CNC装置の開発は富士通の新規事業として始まった。

 当時富士通の主力事業は通信機事業であり、CNC装置が使われる工作機械産業は全く縁もゆかりもなかったといっていいだろう。その中で富士通はいかにしてCNC装置のアイデアを探索し育成し、事業化にまでこぎ着けることができたのだろうか。

 1956年、当時の富士通信機製造(現・富士通)の技術担当常務だった尾見半左右は、当時主力事業だったコミュニケーション分野以外にコンピューターとコントロールという新しい事業分野に進出することを決め、池田敏雄と稲葉清右衛門(いなばせいうえもん、後のファナック創業者)をそれぞれのプロジェクトリーダーに任命した。当時、尾見は稲葉に対して次のように言ったという。

 稲葉君、これからは3Cの時代が必ず来る。君にはコントロールの開発をやってもらうよ。

(稲葉清右衛門『黄色いロボット』)


 3Cとは、「Communication」「Computer」「Control」のことである。当時の富士通は、富士通信機製造という名称からも分かるように、コンピューターではなく通信機を造る会社だった。Communicationには既に取り組んでいるから、後はComputerとControlに今後取り組むというわけだろう。その後の歴史を知る我々は、3Cの時代が必ず来ると言った尾見常務の先読みが実に鋭かったということを知っている。

 そして、池田はコンピューターチームのリーダーに、稲葉はコントロールチームのリーダーに任命された。尾見が彼らに対して指示したことは、その分野であれば「何をやってもよろしい」ということだけだった。技術担当トップの責任において、コントロール分野という探索領域の境界を明確に示したのである。

 つまり、コンピューターやコントロールという大きな方向性を特定した上で、その枠内であれば、細かな事業分野や具体的な取り組み方は現場のリーダーである池田と稲葉に任せたのである。池田と稲葉は同期として1946年に富士通に入社し、ほぼ同じ時期に課長になった。池田は58年に電子技術部の電算機課長になり、稲葉はその前年の57年に同じ部の自動制御課長になっていた。

 当時コンピューター分野には先を走る米IBMがいたから、コンピューターチームが目指すべき目標は明確だった。一方、コントロール分野はそうではなかった。一概にコントロール関係分野といっても多くの選択肢があったからである。例えば、当時はプロセスコントロールの分野が有望視されていた。

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