自分事でないことを言うだけの「べき」

井野辺 まだ「べき」の話が出てこないのですが。

Biki そのシリコンバレーと対極なのが多くの日本人。夢なんか語ると「何をそんな非現実的なことを言っているんだ」とか「夢で食っていけるか」とか批判だけをして、かつ「今やること」を聞いても具体的な自分の行動を思い付けないし実行もしない。つまり「遠くもなく」「今でもない」ところにしか興味が無い。

井野辺 そうかもしれないけど、それって…。

Biki 夢も今の行動も「自分事」。その両極端に寄れないのが単なる中期的なことに見えるけど、実は「他人事」。「誰かがやるんでしょ」というマインドで何事も片付けてしまう。

井野辺 それが「中途半端で他人事」っていうことですね。で、「べき」は?

Biki そういう他人事にしてしまう人が癖のように使うのが「~するべき」。「会社は5年後までに○○をやるべき(だけど、自分は何もやるつもりはない)」とか。会社という抽象的な「他人」に物事を押し付けて、自分で「夢」も持たず「今の行動」も起こさない。それが「べき論」。

(イラスト:勢川びき)
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井野辺 あー、そういうことか。やーっと来た。

Biki 長くてごめん。

井野辺 もっと短く説明する「べき」では(^o^;)。

Biki すいません。で、ちょうど今井野辺くんが言った類いの「べき」がもう1種類の「べき」。

井野辺 お、ということは無意識にちゃんと話を進める手伝いをしていたのですね。

単眼レンズが産む

Biki ありがと! 会社にまん延しているもう1つの「べき」は「単眼レンズ」の「べき」。

井野辺 単眼って、1つだけの目、つまりトンボとかの複眼の対極ってことですか?

Biki そう。それも「昔からの風習ややり方や文化に縛られたまま」の「たった1つのものの見方」から生まれるもの。

井野辺 例えば?

Biki 長いこと会社の主力事業にいて、大きな失敗もせずにサラリーマン人生の大半を過ごしてきた人なんかは、その「主力事業」で「当たり前」として定着してしまったことに縛られていて、それ以外の見方ができず、それと違うことが目の前に現れたら、「~するべきだ」と言ってしまう。

井野辺 例えば技術で言えば開発の仕方とか?

Biki そう。だから世の中が変わっても、これまでのある意味の成功体験が足を引っ張ってしまっていて、他の開発の仕方が必要な時代になっていても、旧来のやり方をやろうとして「いや、それではダメだ。○○をやるべきだ」となってしまう。全ての時代の全ての物事に対して正解なやり方なんて存在しないのに、あたかも「この世の正解はこれに決まっているだろう」という思考パターンにとらわれているので「~するべき」という発言になってしまう。

井野辺 そうか、確かに。ソフトウエアの開発で言えば、ウオーターフォール型できちんと最終目標を決めて開発計画を立てて、その計画とのズレを何とかしていく、ということを綿々とやってきた人には「アジャイル」なんかは危なかしくてなかなか受け入れられなくて、ついついウオーターフォール型の「べき論」を言っちゃう、というようなものですね。

Biki そういうこと。アジャイルくらい市民権を持った状態までくれば、さすがにそれを単純に「べき論」で潰そうとは思わないだろうけれど、まだ一般に認知されていないやり方をするとか、もしくはこれまでの主力事業で決まっていた品質保証のルールとかを逸脱すると、その手の人からの「べき論」攻撃を受けやすい。

井野辺 厄介ですね。ちゃんと新しいものを広く勉強し続けてもらわないと…。

Biki そうだね。まあ、肉体的にも、どうしても年を取ると視野狭窄(きょうさく)や遠くも近くも焦点が合わず中間距離の1点だけしか見えない老眼になっちゃうものだし。脳に染み付いたものが狭くなることはあっても広がるのはかなり難しいのだろうな。

井野辺 でも、中にはそうではない年長者の人もいますよね。

Biki そういう人に共通しているのが「私には分からない世界がある」と、いつも何事に対しても思っていること。だから、自分のモノサシから生まれる「べき」は言わない。

井野辺 そうか、分からないことを許容する人だったら「べき」とか言わないですよね。自分が思う「こっちの方がよいかも」ということも、言い方としては「べき」とか言わずに、提案するような口調になるはずですね。

Biki それもポイントだね。「べき」は議論も止めてしまう。あ、それで思い出した私の過去の話を聞いてくれる?

井野辺 またまたいいきっかけを作っちゃったなあ(^o^;)。