服部セイコー創立110周年の記念モデルとして機械式腕時計の復活を提案し、了承されたセイコー電子工業の田中淳。難しいと思われた部品の製造も無事に終わり、後は組み立てを待つのみとなった。しかし、その組み立て職場ではトラブルが発生。機械式腕時計の本格的な事業化に向けて弾みとなるはずだった記念モデル事業に暗雲が垂れ込める。

(写真:栗原克己)

 セイコー電子工業(現セイコーインスツル)の組立室は重苦しい雰囲気に包まれていた。桜田守ら3人の組立師の前に、同じ形まで組み立てられた超薄型ムーブメント「6810」が並ぶ。まるで3人が示し合わせたかのように。実は、セイコー電子工業きっての組立師をもってしても、この先に進めないのだ。

 問題となっているのは、工芸品と見まがうばかりの見事な文様を映し出す「受け」と呼ぶ部品。その薄さ、柔らかさ、繊細さ故、傷が付きやすく目立ちやすい。事実、3人の目の前にある受けには、わずかだが同じような傷が付き、美しい文様を台無しにしている。3人は目を疑っていた。

 傷をよく見ると、それがステンレス鋼製のピンセットの先端部分が転写されて出来たことに気付く。腕利きの彼らが細心の注意を払いつつ部品を優しく挟むのに傷が付くのなら、部品を変えるか道具を変えるかしかない。

 とはいえ、この期に及んで部品の材質などを変更する選択はあり得ない。時間がないのだ。ベテラン組立師の1人が道具箱を開け、めったに使うことのないピンセットを取り出した。

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