元気になる飛行機やよく眠れる家、睡眠データで健康新ビジネスが起動

2019/03/11 05:00
宇野 麻由子=日経 xTECH
Fast&Slow / PIXTA
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 「日々忙しくて睡眠時間が短く、いつも眠い」「毎日、仕事中に寝てしまう」「海外へ出張に行くと時差ボケで体調を崩す」――。こんな睡眠に関する悩みは、誰もが1度は経験しているだろう。特に日本は寝不足が蓄積された「睡眠負債」大国との調査結果もある。

 日経 xTECHが2018年11月に行った読者調査では、6割のエンジニアが睡眠不足を感じているとの結果が出た(「エンジニアの睡眠不足は深刻、独自調査結果に専門家が警鐘」)。働き方改革で生産性を高めたい企業にとっても、従業員の睡眠は仕事の効率やメンタル的な問題に直結するなど、大きな悩みの種だ。

 こんな‟国民的な悩み“であるのに、これまで睡眠対策については個々人にとって適切なものがなかった。深刻な場合は医療機関に頼るしかないが、そうでない場合は「睡眠に問題を抱えているけれどどうしたらいいか分からない」のが実情だった。不眠対策として認知行動療法に基づき入眠時刻や起床時刻などを記録する「睡眠日誌」は以前からあったものの、手間がかかることもありそれほど普及しなかった。

 そうした状況が、いよいよ「スリープテック」によって劇的に変わる。ウエアラブル機器などを使った睡眠データの計測が一般化したことで、コツコツとためられた“睡眠ビッグデータ”とその解析を元にした新ビジネスが動き出しているのだ。最大のポイントは「個々人に合った睡眠対策」を、誰でも簡単に受けられるようになることだ。データを活用して睡眠状態を分析し、その結果から何らかの制御を加えることで‟積極的な眠り“に変える方向へと進化しつつある。

睡眠関連市場は3兆円規模

 睡眠対策は古くて新しい市場だ。寝具メーカーで約450年の歴史を持つ西川が蚊帳などの販売業として創業したのは安土桃山時代、布団の取り扱いを始めたのは1887(明治20)年にまでさかのぼる。現在の日本国内の睡眠関連市場は3兆円とも言われる。そのうち6000億円を占めるとみられる寝具市場では高級ベッドや高級布団などの高額製品がヒットし、2万~3万円もする枕も珍しくない。さらに睡眠薬などの医薬品市場、機能性食品などのサプリメント市場と、異なる業界がひしめき合っている。

 この睡眠市場でここ数年、存在感を増しているのがスリープテックと表現されるテクノロジー業界だ。2010年代前半に米Fitbit(フィットビット)の製品に代表されるようなウエアラブル機器が続々登場し、「睡眠の可視化」が始まった。スマートフォンと連携するウエアラブル機器の登場で入眠時刻や起床時刻、さらに睡眠の深さまでを手軽に記録できるようになった。ただし、こうした機器が一般に広く普及したとは言い難い。睡眠について可視化はできても、「では自分はどうしたらいいのか」、提言するまでに至らなかったからだ。

 その状況が、睡眠データの蓄積によって変わった。膨大なデータを解析することで、個々人の状況に合った睡眠対策を提供するソリューションを一般に提供できるようになってきた。スリープテックの台頭である。

 スリープテックには企業が熱い視線を投げかけている。2015年に経済産業省と東京証券取引所が「健康経営銘柄」の選定を開始、ほぼ同時に業務効率の向上を目的とする「働き方改革」が広く普及した。さらに、あらゆる業種で人手不足が深刻化したことで、離職や休職を抑えようと従業員へのメンタル面での配慮が不可欠となった。これらすべてに関連する睡眠対策への需要が急速に高まっていることが背景にある。

健康経営銘柄に参加する企業自体が増加
健康経営銘柄とは、東京証券取引所に上場している企業に対して健康経営度調査を実施し、回答のあった企業(参加企業)の中から従業員の健康管理を経営的な視点で考え、戦略的に取り組む企業を選出するというもの。5年で参加企業数(左軸)は2倍近くに増え、選定企業数(右軸)も増えた(図:経済産業省のプレスリリース、東京証券取引所「健康経営銘柄2019 選定企業紹介レポート」のデータを元に日経 xTECH編集部が作成)
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知っているようで知らない睡眠知識

 今、こうした課題意識を持つ企業から引っ張りだこになっているのが、スリープテックを手がけるベンチャー企業のニューロスペースである。2013年12月創業の同社では、これまでに60社以上、のべ1万人以上に「睡眠改善プログラム」を提供してきた。

ニューロスペース 代表取締役社長 小林孝徳氏
介護・医療・ヘルスケア関連の展示会「ケアショー・ジャパン」(2019年1月23~24日、東京ビッグサイト)で開催された同社主催のセミナーにて(撮影:日経 xTECH編集部)
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 多様な企業にアドバイスする中で、様々な生活体系の人について睡眠計測やアンケート調査(主観評価)を実施し、傾向を分析してきた。例えば、コンサルタント業界で高いパフォーマンスを発揮する人は短時間でありながら深い睡眠で効率よく眠っている人が多いという。一方、大手外食チェーンストアの店長の場合、仕事中はずっと立ちっぱなしで動いているため眠気を感じにくく、座った途端に眠気に襲われるというのが典型例だった。より良い睡眠を得るには、帰宅時の電車などで「むしろ居眠りをしない」ことがコツという。これを知っているのと知らないのとでは、大きな違いだ。

 子育て中のワーキングマザーは、やはり子供の夜泣きによる睡眠阻害の影響が強く、日中はイライラして仕事のパフォーマンスを発揮できていない傾向が見られた。子供が深い睡眠に入って夜泣きしにくい眠り始めの3〜4時間のうちに母親自身も深い睡眠が得られるよう、入浴などで体温を調節し早めに就寝した方が効率的という。

睡眠こそ個別最適化が必須

 同社が重要視しているのは、睡眠に関する個別最適化だ。「職業や年代などで睡眠の状況は人それぞれ違っており、良い睡眠に向けた改善策も異なる。従来の睡眠改善策は、いわば正規分布の標準偏差に収まる人に向けたもの。そこから外れている人も改善効果が得られるよう、パーソナライズドソリューションを我々は提供していく」(ニューロスペース 代表取締役社長 小林孝徳氏)。

 2019年4月には、これまでに培った睡眠課題データベースや改善ノウハウを活用し、イスラエル・アーリーセンス(EarlySense)の睡眠計測デバイスで測定した個人の睡眠データを元に、その日の眠気発生時間帯や程度を予測、個別に対策を紹介する助言アプリの提供を開始する予定だ。

蓄積データを生かし、測定した個人の眠りに合わせて助言
(図:ニューロスペースのプレスリリース)
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 同デバイスは、ベッドマットの下に設置することで、心拍、呼吸、ストレスレベル、睡眠周期をリアルタイムで計測しスマートフォンにデータを送る。この計測システムを利用する睡眠改善プログラムは1タームが3カ月で、第1週目は睡眠や眠気に関するアンケートと計測によってパーソナリティーを把握し、第2週目からアプリによって個別最適化した対策を提案する。1カ月後、2カ月後には睡眠状況と次の1カ月に向けた改善策をまとめたレポートを提供し、3カ月後にまとめレポートを提供して終了となる。

 計測データに基づいて個別にガイダンスを抽出し、日中の過ごし方や効率的な仕事のやり方を指南する。こうしたソリューションは、健康経営を推進する多くの企業に支持され、既にフジクラやロート製薬などが採用を決めている。

時差ボケはアプリで解消

 睡眠対策は、"異業種"にも広がっている。睡眠の管理と組み合わせることでサービスの付加価値を高められると考える企業が増えているのだ。

 海外に移動する際の長時間のフライトといえば、誰しもが乗った後に疲れを感じるものだ。ここに着目し、逆に「乗ると元気になるヒコーキ」プロジェクトを進めるのがANAホールディングスだ。「出張するビジネスパーソンは到着地でベストのパフォーマンスを発揮することを目的に移動しているはずなのに、現実にはぐったりとしたお客様の背中を見送ってしまっている」(ANAホールディングス デジタル・デザイン・ラボ チーフ・ディレクターの津田佳明氏)。同社の調査によって、フライト疲れの第1の要因は時差ボケであると結論付けたが、時差ボケは旅程や日々の睡眠、現地での過ごし方によって個々人で異なる。対策の個別化が必要なのだ。そこで同プロジェクトの第1弾となる「時差ボケ調整アプリ」をニューロスペースと共同で開発している(プレスリリース)。

 想定する時差ボケの症状は、調査で訴える人が多かった「早く起きてしまう」「睡眠が細切れになる」「頭を使う仕事の生産性低下」「疲労感を感じたり、疲れやすくなる」「寝つきが悪い」の5つ。これらの軽減・解消に向け、アプリではフライト情報を入力すると、出国の2~3日前から帰国後約2日間にかけて今何をすべきかを通知する。

「時差ボケ調整アプリ」のイメージ図
(図:ANAホールディングスのプレスリリース)
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 アドバイスするのは、光、活動、運動、睡眠(時刻や仮眠など)、食事の5項目についてで、体内時計の制御を図る。とはいえ、誰しもが常に理想の行動を取れるわけではない。アドバイスを実行できない場合も、現時点でできることを提案する。

 現在はANAホールディングスの社員がアプリの評価実験を行っている段階だ。対象としているのは、パイロットや客室乗務員ではなく、一般の顧客と同様の海外出張者だ。同方面に2回以上渡航する社員を対象にアプリの有無と時差ボケ状況の違いを評価している。2019年5月以降、順次一部顧客から提供を開始する予定だ。

 評価実験の中で分かってきたのが、「アプリが指摘してもアドバイス通りの行動ができない」人が多いということ。そのため、将来的には出張者本人の意思とは関係なく、“強制的”に光や食事などの環境を整えられる機内やラウンジを導入することも検討しているという。特にビジネスクラスやファーストクラスなどではもともと個別対応するサービスが提供されており、実施できる可能性があるとしている。

 両社の取り組みは新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の助成事業「企業間連携スタートアップに対する事業化支援(SCA)」に採択され、2020年3月までにアプリと連携した睡眠計測に向けたデバイスの開発を目指している(プレスリリース)。現状では飛行機内での睡眠状況の計測がネックで、例えば機内の座席に非接触で出張者の身体状態を計測するセンサーを埋め込むなどの構想も持っている。

 ANAには「機内人間ドック」の構想もあるという。「我々は機内に顧客を年間のべ約1億時間閉じ込めているとも言える」(津田氏)。つまり、食事、睡眠、自由時間のすべてを座席に拘束する飛行機内であれば、睡眠に限らず、もっと多くのことを測定できる可能性を秘めている。

 しかも、海外を飛び回る忙しいビジネスパーソンは健康診断の受診率が低い層と一致する。「機内に座っている間に、例えば簡易的な心電図などの機器で計測といったように、空港と飛行機内で完結する予備検査を行う“機内人間ドック”なども有効ではないかと考えている」(津田氏)。

マイホームが個人データから眠りをサポート

 睡眠データをHEMS(Home Energy Management System、家庭のエネルギー管理システム)やIoT住宅に活用しようという動きもある。東京電力エナジーパートナーのイノベーション創出機能を担う目的で設立されたTEPCO i-フロンティアズは、ニューロスペースとともに「住んでいるとよく眠れて健康になる家」の開発を急ぐ。

 ニューロスペースの技術を応用し、空調(体温)や照明(光)、音を制御することで、個人に合わせて睡眠をコントロールできる環境の実現を目指す。「快眠環境IoTサービス(仮)」として、戸建てやマンション、さらにリフォーム時のオプションや病院などに提供することを想定している。現在、社内で実証実験中で、2019年にはスモールスタートを切り、2020年に本格展開を計画している。

 良い睡眠に向けて寝室の温度を最適化するリモコンも登場した。中部電力と寝具メーカーのエアウィーヴ、環境測定・管理サービスのSassorが開発したIoTリモコン「ここリモ」で、中部電力が2018年7月に発売した。ここリモは、就寝時間を5つに区切り、それぞれにエアコン設定温度を設定し、睡眠中のエアコン温度を自動で調整できるなどの機能を備える。

睡眠時の無呼吸を高精度で検出

 睡眠データの活用という点では、“老舗”のフィットビットも負けていない。同社の腕時計型トラッカーは、手の動きと心拍の計測というシンプルな方法でありながら4段階の睡眠ステージを評価する機能を備えており、「睡眠の見える化」ブームに大きく貢献してきた。

 同社のトラッカーの累計販売台数は8100万個以上、睡眠データは75億日分以上を保有する。膨大なデータが持つ力は大きい。同社では今後、個々人の測定データに基づいてインサイトを提供する方向を目指しているとする。

 具体的には、医療との懸け橋になるような領域を狙うようだ。2019年1月に開催された「ウェアラブル EXPO セミナー 2019年」で、同社 Research, Vice PresidentのShelten Yuen氏は「Fitbit Charge 3」などに搭載する血中酸素濃度測定向けの相対SpO2(動脈血酸素飽和度)センサーを使うと、睡眠時の無呼吸状態を90%の精度で検知できると発表した。24時間装着し続けるウエアラブル機器の特徴を生かし、常時監視による病院外でのアクティビティの管理や、危険の予兆把握、その対処といった機能の実現を狙う。

「Fitbit Charge 3」
SpO2センサーを搭載する(図:Fitbit)
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