調査データによれば、木造軸組み構法におけるプレカット材の利用率は、2015年に9割を上回った。今や木造住宅の主流となったプレカットだが、それほど古い歴史があるわけではない。この30~40年ほどの間に急速に普及した技術だ。木造や木材利用のコンサルティングなどを担う木構造振興の原田浩司客員研究員にその流れを聞いた。(全3回のうちの第1回)

1980年代半ば以降、大工のなり手が減少。一方、住宅の着工数が増えるなかで、施工の省力化に大きく貢献したのが木材のプレカット化だ(イラスト:綿貫 志野)
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 原田浩司氏が、木造・木材に携わるようになった頃、住宅需要の増大と工期の短縮などが影響し、各工務店では人手不足が問題になり始めていたという。まさにプレカットの導入が始まろうとしている時期だった。

 僕は、もともと建設会社で施工管理を担当していたのですが、コンクリートよりも木造に可能性を感じ、35年ほど前に故郷に帰って山口県で勤め始めました。在来木造の設計・施工を手掛けるいわゆる工務店で、大工と一緒に仕事をするなかで、木材や木造のことを学んでいきました。

 その当時は、もちろん大工が墨付けをして、のみやかんなで手刻みで加工していました。大工の徒弟制はわずかに残っていましたが、かなり崩れ始めていて、若い大工はすでに少なくなっていました。まだ人手不足はそんなに深刻ではありませんでしたが、年齢層の状況、徒弟制度の崩壊状況から、将来の大工不足は明らかだったのです。その結果、手刻みだけでは間に合わないだろうと、代替手段として出てきたのが、プレカット技術だと思います。

 僕が最初に見たのは、のみの代わりにドリルでほぞ穴を開ける角鑿機(かくせんき)の延長でつくられていたものでした。1980年代半ばのことです。大工の墨付けを基準に継ぎ手・仕口などをボタン1つで加工してくれる機械です。あくまで大工の補助をしてくれる機械ですが、当時から「プレカット」と呼んでいて、かなりの時間短縮になっていました。熟練工でなくても刻みができるので、これからの変化の兆しを感じました。

 それと同時に、広島県の山根木材(当時)にプレカット工場ができたと聞いて、それを見に行きました。そこでは、もう完全に自動化されたラインになっていました。こういった機械が普及したら、加工は専門工場が担い、大工は現場で組み立てるのが仕事になっていくだろうと感じました。予想通り、その後、大工の仕事内容が一変していきました。

 すでに出来上がっている技術でしたから、70年代後半から80年代にかけて、着々と準備されていたのだと思います。当時、付き合いはありませんでしたが、最初に、プレカットの流れをつくったのは、愛知県豊橋市の宮川工機だと思います。今でも、住宅系のプレカットといえば、宮川工機が先端を走っています。

宮川工機が1976年に開発した、初期のプレカット機「MHF型自動仕口加工盤」(写真:宮川工機)
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 プレカットだけでなく、建て具などの既製品化も進み、タイルも少なくなって左官屋の仕事が減り、「現場から水がなくなった」といわれた頃です。こうした激変時に、私は木造に携わり始めた印象ですね。

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