大川小学校を1983年に設計した北澤建築設計事務所(東京都渋谷区)の北澤興一代表は、東日本大震災から数年間、口を閉ざしてきた。裏山への設置を提案した東屋を実現できなかったことが「悔やまれる」と語る。

北澤 興一(きたざわ こういち) 北澤建築設計事務所代表
1937年長野県生まれ。61年に工学院大学建築計画専攻課程修了、同年にレーモンド建築設計事務所に入所。71年には北澤建築設計事務所を設立する。83年には大川小学校の校舎を設計した。学校の北西を流れる北上川を望みながら勉強ができるように、裏山の高台に東屋を設けるアイデアを提案していた(写真:都築 雅人)
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 大川小学校(現在は跡地となっている)を襲った津波被害に関して、メディアに出ないようにしてきました。私が表に出れば、訴訟で意見の分かれる遺族らに影響を与えてしまうと考えたからです。設計者であることは、東日本大震災から数年間は伏せてきました。ただ、事実と異なる報道も幾つかあったため、取材に応じることにしました。

 建築家としての反省は、国が定めた基準にのみ従って設計していたことです。法を順守して設計した建物でも、地震によっては被害が生じる場合があります。過去にも想定外の被害を受けたことで、国の基準は改正を繰り返してきました。

 では、法を守って設計した建物の事故については、どのように責任を取ればよいのでしょうか。

 大川小は1983年に設計しました。当時は河北町立の小学校でした(河北町は2005年に石巻市と合併)。私は1978年に河北町庁舎の設計コンペに当選しています。庁舎が好評だったことから、同町との縁が深まりました。79年には河北町中学校、82年には大谷地保育所なども設計しています。

 大川小は、「画一的な義務教育の場とせず、生徒がのびのびと学べる施設にしたい」と提案しました。2階建て校舎には屋上がありません。普段は鍵をかけて使用を禁じるような屋上をつくっても意味はないと考えたのです。代わりに天井を高くして、自然光を多く取り込む教室を目指しました。

設計当時の大川小学校パース。水害対策を意識した設計となっており、北上川に向かって校舎を配置して、校庭を守っている(資料:北澤建築設計事務所)
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竣工当時の教室の様子。生徒がのびのびと学べる明るい校舎を心掛けて設計した(写真:北澤建築設計事務所)
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